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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (学都充実への要望)

学都充実への要望 昭和二十四年(一九四九)七月に弘前大学が開学した。,十二月十四日の市議会で「弘前大学施設充実に関する陳情について」緊急動議が提出された。,、時敏、朝陽二校を火災で焼失したにもかかわらず、旧五七連隊跡地三万坪を確保したのも、大学設置を完遂し学都弘前,小野議員の発言は、弘前市が学都として発展するほか道はないことを顕著に示していた。,弘前市の危機感も、結果的には県に資金を依存せざるを得ないという点に集約されてしまったのである。 / 学都充実への要望
通史編5(近・現代2) (弘前城内の植物園造営)

弘前城内の植物園造営 敗戦で第八師団が解散させられるまで、弘前城三の丸一帯は兵器廠だった。,戦後弘前市は学都に生まれ変わり、同敷地も弘前大学教育学部が所有することになった。,弘前大学の移転に伴い、都市緑化植物園の整備を進めることになり、昭和六十三年(一九八八)五月三十一日、植物園,弘前城は軍都弘前の軍事施設から、学都弘前にふさわしい施設に生まれ変わったわけである(資料近・現代2No / 弘前城内の植物園造営
通史編5(近・現代2) (弘前大学医学部との関係)

弘前大学医学部との関係 第八師団を失った弘前市は弘前大学を設立し、「学都」弘前をめざしてきた。,これ以後、市の医学界は弘前大学を中心に動くことになり、青森県の医学界をも左右することになる。  ,他県にもほとんど見られない学校を中心とする地域社会の広範な保健衛生活動を強力に展開する」事業であり、「学都弘前,「学都」弘前は医学部の設置により、医学都市弘前をもめざしていた。,けれども、弘前大学の医学設備が全国の水準より下回っていたのは、残念ながら認めざるを得ない。 / 弘前大学医学部との関係
通史編5(近・現代2) (弘前大学の誕生と市民の熱意)

弘前大学の誕生と市民の熱意 敗戦により軍都としての機能を喪失した弘前市は、戦後弘前大学を誘致し学都としての,とはいえ県の出費は市町村に跳ね返るし、大学が弘前市に設置されることから、地元弘前市民がもっとも多くの費用,弘前大学誕生に学都建設の構想を夢見て、表面的には沸いた弘前市だが、その構想を具体的に実現するに当たっては,それでも戦後の混乱が静まっていくなかで、市当局や市民の間からも、市が学都として発展するほかに道はないとする,県都青森、産業都市八戸との比較・対抗意識から、弘前市が出遅れており、市の発展は学都・文化都市しかないと / 弘前大学の誕生と市民の熱意
通史編5(近・現代2) (弘前大学後援会と農学部の新設)

弘前大学後援会と農学部の新設 弘前大学を学都弘前の中心とし、市の発展の基礎とすることで市や県の幹部は,弘前市も県と同様、農業を市政の中心に置いていた。,そのために学都弘前の本部である弘前大学に農学部を設置する要望は、市だけでなく県内各地、各界から強く寄せられていた,農学部の設置や拡充に見られるように、弘前大学は青森県や弘前市という地元地域の支えによって維持されてきた,側面が強かったといえよう(弘前大学については、本章第五節第五項のほか、『弘前大学五十年史』弘前大学、一九九九年 / 弘前大学後援会と農学部の新設
通史編5(近・現代2) (弘前市教育委員会の発足)

弘前市教育委員会の発足 昭和二十七年(一九五二)十月五日、市町村教育委員の第一回選挙は全国一斉に行われた,弘前市では鳴海修、嘉瀬英夫、長谷川芳男、古川英雄が当選、市議会から土田与惣市が選ばれ、以上五人によって,弘前市教育委員会は構成された。,弘前市教育委員会は二十七年十一月一日を期して発足した。,こうして弘前市教育委員会は発足したが、窮迫する財政のもとで、学都弘前の建設、小学校教室の増設と学区の再編成 / 弘前市教育委員会の発足
通史編5(近・現代2) (青森医学専門学校の弘前市移転)

青森医学専門学校の弘前市移転 昭和二十一年(一九四六)七月、文部省は医学教育の振興充実を図るため、医学専門学校,弘前市は岩淵勉市長が学園都市の構想をもって「学都弘前」を標榜し、率先して誘致運動に全力を挙げた。,写真141 弘前大学医学部付属病院(旧弘前市立病院) 昭和二十三年二月十日、弘前医科大学の設置が,弘前医科大学は本県における最初の大学として記念すべきものであったが、昭和二十四年五月の弘前大学の発足によって,に、昭和三十一年一月制定認可された弘前医科大学学位規程が存続するのみとなった。 / 青森医学専門学校の弘前市移転
通史編5(近・現代2) (鉄道営業の整備)

五能鉄道ヲ弘前駅ニ直通セシムル件ニ就キ再請願 五能鉄道ヲ弘前駅ニ直通セシメ弘前駅ヲ以テ其発着点タラシムル,』第二一〇号による)  弘前市は、官立弘前高等学校をはじめ、多くの学校を擁する学都であり、弘前周辺からそこに,軍都弘前そして学都の弘前。その『学都弘前』のピンと来るものは弘前駅の列車通学生の素晴しい事だ。,弘前高校生の蛮カラタイプから小学児童の可憐どころまで動員されて、この若い元気な時間は『学都弘前』の一つの,これは弘南鉄道の分が入ってないが、弘南を入れると千二百名位になると観測されてゐるが、『学都弘前』の朗らか
通史編5(近・現代2) (戦後の世相と観光政策)

この時期に弘前市も観光という目玉産業に着目した。,戦後は第八師団に代わる弘前市の象徴と産業基盤を見出すために、弘前大学を新設し、学都弘前をめざした。,だが学都弘前だけでは戦前・戦中の第八師団と比べ、産業的基盤に欠けるのは否めなかった。  ,弘前大学の設立は、将来の弘前市ないし青森県を牽引する若い人材を育成するための重要な設備だった。,そのために弘前市が新たに選んだ選択肢は、観光都市の実現だったのである。
通史編5(近・現代2) (新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次)

新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次 新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次     ,」の誕生 …………………………………………  469   五 学都創出への支援 ……………………………,………  787   三 災害と開発 ……………………………………………………  790 第六節 医学都市,………  794   一 衛生対策への着手 ……………………………………………  794   二 医学都市弘前,と充実  第六節 弘前公園の開設と市民生活  第七節 弘前の宗教者ほか   第三章 大正期の弘前 / 新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次
通史編5(近・現代2) (誘致反対論)

いずれも過去の弘前市が経験したことにちなんで反対運動を表明していることがわかる。  ,反対派の主張は経済効果よりも、学都弘前・観光都市弘前の発展をはかることに眼目があった。,賛成派は市の経済的繁栄を主張し、反対派は学都・文化観光都市の発展を主張するなど、いずれも自衛隊の問題が,弘前市発展の方向に多大な影響を与えるという点では共通していた。,写真152 原ヶ平の陸上自衛隊弘前駐屯部隊(昭和43年)
通史編4(近・現代1) (新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次)

………  533   四 弘前の普選運動 ………………………………………………  535   五 弘前市, 第一節 軍都弘前の展開  第二節 銃後弘前の市政と生活  第三節 地域経済の動向  第四節, 第一節 軍都弘前の崩壊と占領  第二節 復興期の経済  第三節 戦後弘前の農業展開  第四節,新弘前市」の誕生  第二節 高度経済成長と弘前の経済  第三節 安定成長への転換  第四節 国際化, 第六節 医学都市の衛生対策   第八章 近現代弘前市の文化活動  第一節 文学活動  第二節 / 新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次
通史編5(近・現代2) (福祉事業の推進)

そのため周辺の町村を吸収した弘前市は、まず市営事業の推進による福祉行政を充実させた。  ,このほかに「新弘前市」の福祉事業として特筆されることは、児童福祉の充実だった。,弘前市には弘前大学医学部や教育学部があり、施設の運営に必要な指導協力が得られる態勢にあるというのも、設置,まさに学都弘前ならではの発議理由だったが、この意見書は実らず、一部県の補助金を得て、市が自ら設置することになった,「新弘前市」は福祉政策の充実とともに、学都の建設と符合した形で、教育施設の拡充や市民会館、博物館、文化
通史編5(近・現代2) (合併前後の観光対策)

合併前後の観光対策 市町村合併前後、観光地弘前の名声は徐々に高まってきていた。,戦後の弘前は学都弘前で出発し、観光都市弘前としての発展を目指し諸事業に着手する。,現実的には弘前市当局や市民が、観光都市の実現に向けて積極的な事業を推進していたとは言いがたい。,合併前の弘前市の観光政策は、まだまだ確立されていない段階だった。,写真229 弘前市観光案内所と馬車(昭和33年)
通史編5(近・現代2) (朝陽小学校校舎新築落成)

戦後の学都弘前建設のため、青森医学専門学校に校舎を提供、あるいは児童ぐるみ弘前大学附属小学校としての貸与
通史編5(近・現代2) (人的資源の動員と健民運動)

人的資源の動員と健民運動 当初健民運動は国民の体力向上を意図し、弘前市も含む青森県や東北地方にとって,弘前市でも厚生省の指示を受けて、乳幼児体力向上奨励週間を実施したが、市長は市が「国策ニ呼応シ滞リナク」,戦後、弘前大学医学部を中心に医学都市を目指す弘前市だが、健民運動からも医学界と市の密接な関係が理解できるのではないだろうか
通史編5(近・現代2) (誘致賛成論)

誘致賛成論 自衛隊誘致に賛同し、積極的に請願したのは弘前商工会議所である。,けれども八月二十日、再び雨森良太会頭の名で、弘前市への陸上自衛隊誘致を請願している。,敗戦で軍隊は解体され、現在は学都ないし観光都市として命脈を保っているにすぎない。,こうした条件を克服するためにも、陸上自衛隊の一部を、まずは弘前市に誘致することが必要だというのである。,商工会議所は、弘前市に陸上自衛隊の統監部と附属連隊が誘致されれば、年間九億円、最小限一個大隊に小司令部
通史編5(近・現代2) (戦後復興期の財政)

戦後復興期の財政 弘前市の戦後復興過程における財政の動向は、各年の財政説明書からみることができる。,昭和二十二年(一九四七)予算提案理由において、戦後の弘前市は、戦前の軍都としての性格を払拭し、まず、学都,次いで、全国的に知られるようになった弘前公園の施設を整備して観光都市を目指すが、具体的に公園費は一般管理,二十三年五月、物価対策を主題とした弘前地区の商工業者大会が商工会議所で開催され、「適正価格の励行」、「,』明治・大正・昭和編、弘前市、一九六四年)。  
通史編5(近・現代2) (藤森市政の財政)

合併すると、大弘前市の象徴として新庁舎建設を検討する。,学都弘前の図書館として、市民から要望が出されていた図書館の新築は三十四年度に着工され、初年度は一〇〇〇,万円、三十五年度には二〇〇〇万円が計上されて完成した(弘前公園内、旧市立弘前図書館)。,四十九年度には弘前相互銀行から創業五十周年記念として、弘前市に一億円が寄付され、弘前公園内に博物館が建設,図4 城西団地完成イメージ図   ③弘前駅舎の新築 弘前駅舎の新築は四十三年度から検討されるが
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