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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(人質徴収)
各大名に個別に命じられてはいるが、七月晦日付の秀吉の朱印状では、出羽・奥州の両国はいうに及ばず、「津軽・
宇曽利
,豊臣政権にとって「津軽・
宇曽利
・外浜迄」という表現は、出羽・奥州の外にある境界領域という地理認識によるものであり,、特に、
宇曽利
は、十六世紀中ころには津軽・外浜とともに日本の果て(日の本)として認識されていたという。
通史編1(古代・中世)
(奥州安倍氏とのつながり)
登場する安倍氏一族のなかに安倍富忠なる人物がいるが(史料四四五)、のちに安藤氏の重要な支配領域であった
宇曽利
通史編1(古代・中世)
(多宇末井の梯)
逃走経路は、かつて前九年合戦のとき、源頼義が安倍頼時を背後から脅かそうとして、銫屋(かなや)・仁土呂志・
宇曽利
三部
通史編1(古代・中世)
(安藤氏の所領)
それに対して、その北方に広がる陸奥湾岸から下北地域にかけての外浜・
宇曽利
・中浜、あるいは日本海岸の西浜,する諸職の内容として、津軽鼻和郡絹家島(けんかしま)・尻引(しりひき)郷・片野辺(かたのべ)郷と糠部
宇曽利
通史編1(古代・中世)
(安倍氏の登場)
史料四四〇)、北には「鉇屋(かなや)(岩手県北部三戸~九戸方面)・仁土呂志(にとろし)(二戸付近)・
宇曽利
通史編2(近世1)
(豊臣再仕置軍の奥州下向)
秀吉の天下統一とは、かつて「津軽・
宇曽利
(うそり)・外浜迄」と表現され、辺境と認識されていた津軽の地まで
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
弘前市教育委員会 写真149 御書 弘前市立図書館蔵 写真150 古碑考 弘前市立図書館蔵 写真151 奥州南部
宇曾利
山之絵図
資料編1(古代・中世編)
([十六世紀])
所載の「日本行基図」に、秋田城・津軽・竹浜(外浜か)・守曽利(
宇曽利
か)・夷地などの地名が記される。
通史編1(古代・中世)
(四 執権時頼の東国廻国をめぐって)
写真151 奥州南部
宇曾利
山之絵図 これによると、恐山は古代において、最澄の高弟円仁=慈覚大師
資料編1(考古編)
(〈注及び参考文献一覧…第3章〉)
小川原開発予定地域内埋蔵文化財分布調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第1集) 1973年 *102 橘善光 「下北半島史-
宇曽利
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●天正十八年(一五九〇)七月晦日、豊臣秀吉、宇都宮にて朱印状を下し、出羽・陸奥のみならず、津軽・
宇曽利
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
所載の「日本行基図」に、秋田城・津軽・竹浜(外浜か)・守曽利(
宇曽利
か)・夷地などの地名が記される。
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