• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 18件
辞書ファセット
/ 1ページ
資料編1(考古編) ((3)弥生時代の土壙墓)

現在までに発見されている当該遺構の代表的なものは、津軽半島の突端に近い東津軽郡三厩村宇鉄字下平に所在する,宇鉄Ⅱ遺跡と、下北半島の陸奥湾に面した下北郡川内町の板子塚遺跡である。  ,宇鉄Ⅱ遺跡は、昭和50年(1975)9月を第1次とし、3次にわたり発掘調査が実施され、さらに昭和62年,第1次から第3次にかけての調査で544m2が発掘され、弥生時代中期前半または弥生3期の宇鉄Ⅱ式土器期の,そのほか3号・5号・22号土壙墓(恵山AB式土器期)からカップ形土器、12号(宇鉄Ⅱ式と恵山A式土器期
資料編1(考古編) (1.時代区分と弥生土器の編年)

(弥生中期)五所式→二枚橋式→宇鉄式→田舎館式→(+)→(弥生時代後期)念仏間(ねんぶつま)式→鳥海山式,→烏間(からすま)式*149、近年は、(弥生時代前期)砂沢式→五所式・二枚橋式→(弥生時代中期)宇鉄Ⅱ,弥生時代後期)念仏間式→天王山式(鳥海山式)のほか、(1期)砂沢式→(2期)五所式・井沢式・二枚橋式→(3期)宇鉄,甕形(広口壺形)土器…弘前市・砂沢遺跡 五所式台付浅鉢形土器…弘前市・砂沢遺跡 宇鉄,Ⅱ式末広口壺形・甕形土器… 三厩村・宇鉄Ⅱ遺跡 (青森県立郷土館蔵) 天王山系甕形土器
通史編2(近世1) (領内アイヌ支配の変化)

  へきりは 串貝   2 松ヶ畸 ちせかる 串貝   1      3月9日 宇鉄,ちゑへかいん 串貝   20 米1俵 花入(瀬戸物)1      12月19日 宇鉄,この時、松ヶ崎・六条澗(ろくじょうま)・藤島(ふじしま)・釜ノ沢(かまのさわ)・上宇鉄(かみうてつ)・,下(しも)宇鉄に居住する六村の蝦夷の中には、この宝暦の和人化政策を嫌って山に逃げ込んだ者もあるといわれる,文化三年(一八〇六)には、六条澗村から上宇鉄村に至るアイヌの人々が残らず「王民(おうみん)」として編入
資料編1(考古編) ((1)石器と石製品の種類)

            ○ ○ ○ ○ ○     ○ ○ ○     ● ●   ○ ○ 中期 宇鉄,    ○         ○                                 中期 宇鉄
通史編2(近世1) (領内アイヌと寛文蝦夷蜂起)

また寛文十年の蝦夷地探索に際しては、上蝦夷地に派遣された牧重清の隊に、「狄の通し(詞)候には宇鉄の四郎三郎
資料編1(考古編) (4.弥生時代の住居跡)

特に中期の宇鉄Ⅱ及び井沢式土器期と、後半の田舎館式土器期(東北大学の須藤隆によるⅡ期とⅢ期)、並びに天王山式土器期
資料編1(考古編) ((1)3世紀末~4世紀前半代)

一つは、砂沢式→二枚橋式→宇鉄Ⅱ式→田舎館式→念仏間式→鳥海山式→九艘泊式と連続する、弥生時代の在地系土器文化
通史編2(近世1) (海防報告書にみる天保期の海防体制)

小泊浦番所 2 1 1 小泊七ツ石崎大筒台場 5 2 上宇鉄遠見番所,現西津軽郡深浦町)・長浜(ながはま)(現西津軽郡木造町か)・十三・脇元(わきもと)(現北津軽郡市浦村)・上宇鉄
資料編1(考古編) ((2)縄文時代早期)

大洞BC 大洞C1 大洞C2 大洞A 大洞A’ 弥生時代 前期 砂沢 五所,二枚橋 中期 宇鉄
通史編2(近世1) (改革の終焉と成果)

乳井貢来訪の記事  なお、乳井は宝暦六年八月二十六日、外浜巡視に際して三厩(みんまや)の蝦夷(えぞ)、宇鉄
通史編1(自然・原始) (太平洋戦争終結後)

昭和三十年(一九五五)を迎え、清水潤三を中心とする慶応大学の一行は、津軽半島突端に近い三厩村宇鉄(三月,)と、今別町上山崎(八月)・青森市三内丸山(八月)等の遺跡を調査し、宇鉄と上山崎では縄文時代晩期、三内丸山
通史編2(近世1) (津軽領内のアイヌ民族)

ほろつき村 1 小泊村 4 山派村 1 松ヶ崎村 9 びくちよま村 2 藤崎村 1 かまの沢村 3 宇鉄村
資料編1(考古編) ((4)土製品)

蹲居土偶…尾上町・八幡崎遺跡(晩期) (尾上町教育委員会蔵) 緑石像嵌省略土偶…三厩村・宇鉄遺跡
通史編1(自然・原始) (発掘調査の成果)

ほかに、三厩村宇鉄の中ノ平遺跡が、青函トンネル工事に伴う資材運搬路の工事によって調査され、円筒下層d1,昭和五十年(一九七五)から昭和五十二年(一九七七)に至る三ヵ年と、一〇年後の昭和六十二年(一九八七)に三厩村宇鉄下
通史編1(自然・原始) (昭和時代)

亀ヶ岡文化は江戸時代説」を紹介したが、喜田は大正十四年(一九二五)七月に津軽半島の三厩(みんまや)村宇鉄
通史編1(自然・原始) (第一節 注および引用・参考文献)

岡新石器時代遺跡と過去水準変化について」『日本学術協会報告』九-二 一九三四年五月 (48)喜田貞吉 「大正乙丑宇鉄遊記抄,   B 伊東信雄ほか 『瀬野遺跡』 東北考古学会 一九八二年四月 (120)岩本・天間・三宅 『宇鉄
通史編2(近世1) (林政の展開と漆木の栽培)

から目屋の沢山林までの九山)、中山通り(前田の目山林から小泊山林まで二二山)、外浜通り(鶴ヶ坂山林から宇鉄山林
資料編1(考古編) (〈注一覧…第2章〉)

*220 青森県立郷土館 『宇鉄Ⅱ遺跡発掘調査報告書』『同(Ⅲ)』(青森県立郷土館調査報告6・同25)
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました