機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 33件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
通史編1(古代・中世)
(安倍氏の柵)
安倍氏
の柵
安倍氏
は北上平野一帯に柵を造営し、そこに一族などを配置して地域支配を行っていた。,
安倍氏
は、これまでも繰り返し触れてきたように、決して北の世界の保護者ではない。,
安倍氏
は鎮守府在庁として力をつけたのであって、その軍事力は基本的には蝦夷の支配者としての鎮守府在庁軍でもある,たとえば安倍頼時が死去した岩手県金ヶ崎(かねがさき)町の鳥海(とのみ)柵(写真62)は
安倍氏
の重要拠点,写真62 鳥海柵跡
安倍氏
はまた関東から下向した軍事貴族とも姻戚関係を結んでいる(図29)。 /
安倍氏
の柵
通史編1(古代・中世)
(安倍氏の登場)
安倍氏
の登場 こうした豊かな北の世界で、現地の責任者として権力をふるったのが、鎮守府の筆頭在庁「奥六郡俘囚長,」
安倍氏
と、秋田城の筆頭在庁「出羽山北俘囚主」清原氏である。 ,それらに代わって台頭してきた新興豪族の筆頭が
安倍氏
であったのである。,とくに
安倍氏
は青森県域とも深いかかわりをもっていたが、その動向を伝える唯一の史料が、前九年合戦の模様を,一〇世紀半ばころ、
安倍氏
は鎮守府将軍の権力基盤である奥六郡(岩手・志波・稗貫・和賀・江刺・胆沢)を支配 /
安倍氏
の登場
通史編1(古代・中世)
(奥州安倍氏とのつながり)
奥州
安倍氏
とのつながり そしてこの(安倍)高丸を介して、安藤氏が、奥州のかつての覇者
安倍氏
の系譜につながることとなる,安藤氏が
安倍氏
の子孫を自称したのは、北奥において、その支配者として強烈に意識され続けた
安倍氏
の系譜に連,『陸奥話記』に登場する
安倍氏
一族のなかに安倍富忠なる人物がいるが(史料四四五)、のちに安藤氏の重要な支配領域,において、南の辺境の固めという、北の安藤氏と類似した役割を果たした九州の松浦(まつら)氏(党)が、やはり
安倍氏
/ 奥州
安倍氏
とのつながり
通史編1(古代・中世)
(安倍氏の滅亡)
安倍氏
の滅亡 さて十五日夕刻、官軍は安倍軍の立て籠る厨川(くりやがわ)・嫗戸(うばど)柵を包囲した。 /
安倍氏
の滅亡
通史編1(古代・中世)
(鎮守府将軍清原武則)
鎮守府将軍清原武則 前九年合戦で
安倍氏
が滅亡した後は、その論功行賞によって清原武則が俘囚出身者としてははじめて,清原氏はこうして
安倍氏
が奥六郡内に有していた権限を受け継ぎ、本拠も奥六郡に移し、これから北の世界に勢力
通史編1(古代・中世)
(黄海の戦い)
65『国史略』天喜5年9月条 目録を見る 精細画像で見る もともと奥六郡をはじめこのあたりの
安倍氏
,の勢力圏では、鎮守府から
安倍氏
が徴税を請け負っていた。,
安倍氏
の支配の及ぶ地域は、すべて所当賦課の対象地であるという論理を振りかざしたのである。
通史編1(古代・中世)
(蝦夷か蝦夷の支配者か)
とくに蝦夷系譜と
安倍氏
系譜との関係について、学界でも議論が分かれている。 ,について述べた、おそらく現存最古の史料であると思われる『諏方大明神画詞』(史料六一七)においては、安藤氏を
安倍氏
,とは系譜的に区別していることからすると、安藤氏を蝦夷の子孫とする系譜よりは、その蝦夷の統括者であった
安倍氏
,また
安倍氏
自身が、(平泉藤原氏のように自称したかどうかは別として)蝦夷の末裔(まつえい)と考えられていたとしたら
通史編1(古代・中世)
(津軽曽我氏の所領・鼻和郡)
津軽曽我氏の所領・鼻和郡 文和四年(一三五五)の「あへのうちめうあ(
安倍氏
妙阿か)譲状」(史料七一三
通史編1(古代・中世)
(清原氏の登場)
清原氏の登場 こうしたなか、
安倍氏
を制するだけの兵力がない頼義は、出羽山北(せんぼく)の清原氏に対して,在地性にこだわる
安倍氏
とは異なり、「真人」と中央の皇親系の姓を名乗ったのである。
通史編1(古代・中世)
(安部氏・清原氏の登場)
の管郡的基盤となったのが山北三郡(山本・平賀・雄勝(おかち))・秋田郡・河辺郡である・のちに前者から
安倍氏
通史編3(近世2)
(百沢寺)
し塔頭宝積坊・西福坊・山本坊・福寿坊・南泉坊・円林坊・東林坊・万福坊・徳蔵坊を配し、各一六石を、神主
安倍氏
通史編1(古代・中世)
(安藤系図)
そこでは、奥州
安倍氏
の祖を中央豪族である大和の阿倍氏とし、まずその阿倍氏の比較的詳しい系譜をつづる。,また陰陽博士
安倍氏
の系譜や阿倍仲麻呂などをも取り込んでいる点も興味深いところである。
通史編1(古代・中世)
(安倍高丸)
は、南北朝期の延文元年(一三五六)成立の『諏方大明神画詞』(史料六一七)で、そこでは安藤氏について「
安倍氏
悪事
通史編1(古代・中世)
(前九年合戦の勃発)
前九年合戦の勃発 永承六年(一〇五一)、陸奥守藤原登任が、
安倍氏
の勢力伸張を制するために、秋田城介平重,これはそもそも
安倍氏
が賦貢を滞納し徭役を怠ったことに起因しているのではあるが、先にみた現地の在庁や関東武士
通史編1(古代・中世)
(鎮守府将軍源頼義)
鎮守府将軍源頼義
安倍氏
を押さえるため、中央政府は登任に代えて、源頼義を陸奥守とし、また彼に鎮守府将軍
通史編1(古代・中世)
(系譜伝承のキーワード)
これら安藤氏の系譜伝承についてのキーワードは、安日・高丸・
安倍氏
の三つである。
通史編1(古代・中世)
(下国伊駒安陪姓之家譜)
ちのために奥州に走り、下国氏と同族であると称して出羽国仙北の金洗沢之館に立て籠ったと記述し、その子孫が奥州
安倍氏
通史編1(古代・中世)
(系譜認識の変化)
安日・高丸・
安倍氏
、いずれも、中央からの支配強化に対して激しく抵抗した強烈なイメージに包まれており、まさに
通史編1(古代・中世)
(田村麻呂と頼朝)
さらにそれが『八幡愚童訓(はちまんぐどうくん)』では安倍高丸となり、奥州
安倍氏
一族のうちに位置づけられるようになっている
通史編1(古代・中世)
(後三年合戦)
清原氏は本拠の仙北三郡(雄勝・平鹿・山本)に加え、
安倍氏
の所領であった奥六郡(胆沢・江刺・和賀・稗貫・
通史編1(古代・中世)
(阿津賀志山の防塁)
たとえば前九年合戦の
安倍氏
の城柵をめぐる攻防戦では、僧良照の守る小松柵の攻防について、『陸奥話記』に「,このような防塁を中心とする城柵は、
安倍氏
以来の伝統であるといわれる。
通史編1(古代・中世)
(エゾ=アイヌ)
安倍氏
の蝦夷支配と平泉の蝦夷支配は根本的に異なるものなのである。
通史編2(近世1)
(「津軽一統志」以降の修史事業)
しかし、津軽家が奥州藤原氏に連なることを主張すれば、奥州藤原氏と
安倍氏
との血縁関係が存在する以上、安日
通史編1(古代・中世)
(藤崎系図)
さてこの『藤崎系図』では、神武天皇東征の時に滅ぼされた長髓彦の兄安日を、事実上その系譜の起点とし、奥州
安倍氏
資料編1(古代・中世編)
([十二世紀])
●文治五年(一一八九)九月二十七・八日、源頼朝、鎌倉への帰還の途上、
安倍氏
の衣川館跡や悪路王伝説の田谷窟
通史編1(古代・中世)
(蝦夷管領)
蝦夷を支配するものは蝦夷でなければならないという主張に基づく蝦夷に連なる自己系譜と、北奥の覇者である
安倍氏
資料編1(古代・中世編)
([十一世紀])
●治暦元年(一〇六五)、伊予守源頼義、
安倍氏
残党平定のため、なお陸奥国に留る。
通史編1(古代・中世)
(一 古代における北奥の宗教世界)
しかも、弘前の宗教史も、周知のように、古代の
安倍氏
の系譜を引く「蝦夷管領(えぞかんれい)」安藤氏に象徴,まず、「蝦夷管領」津軽安藤氏の祖たる「東夷の酋長」「六箇郡之司」の
安倍氏
は、その政治的拠点の十三湊に広,また、
安倍氏
と同様に「東夷之遠酋」あるいは「俘囚之上頭」というごとく、夷社会の統轄者を自称する平泉藤原氏造営,十三往来』(写真142)に譲って多くの筆を割(さ)こうとはしなかったが、この山王坊も中世安藤氏の祖たる古代
安倍氏
通史編1(古代・中世)
(三 中世寺社の存在形態)
津軽山王坊なる天台宗的な宗教道場を営んだと伝えられる
安倍氏
の末裔の安藤氏は、『日蓮遺文』に (一)文永五年
通史編1(古代・中世)
(二 津軽の修験道と神社)
安倍吉季がその岩木山神社祠官に任じられる経緯を語る次の「安倍社司由緒書」は、
安倍氏
の山伏修験の前歴を知
通史編1(古代・中世)
(新編 弘前市史 通史編1(古代・中世) 目次)
142 三 北方との交易 ……………………………………………… 147 四 俘囚長
安倍氏
通史編1(古代・中世)
(四 執権時頼の東国廻国をめぐって)
古代の
安倍氏
の血を引く津軽安藤氏は「因果の道理を弁(わきま)へて」二つの拠点地域に多くの堂塔を造営した
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
……………………………… 樗嚢抄 116 ●治暦元年(一〇六五)、伊予守源頼義、
安倍氏
残党平定のため、,………………… 吾妻鏡 140 ●文治五年(一一八九)九月二十七・八日、源頼朝、鎌倉への帰還の途上、
安倍氏
/ 1ページ