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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (安倍氏の柵)

たとえば安倍頼時が死去した岩手県金ヶ崎(かねがさき)町の鳥海(とのみ)柵(写真62)は安倍氏の重要拠点,藤原清衡(きよひら)の父経清(つねきよ)は安倍頼時の娘婿であるが、平将門の乱平定の立役者藤原秀郷の子孫
通史編1(古代・中世) (多宇末井の梯)

この逃走経路は、かつて前九年合戦のとき、源頼義が安倍頼時を背後から脅かそうとして、銫屋(かなや)・仁土呂志
通史編1(古代・中世) (エゾ呼称の発生)

ここで注目されるのは、安倍頼時とその奥地の夷=エゾとを区別した書き方となっていることである。
資料編1(古代・中世編) ([十一世紀])

八月、源頼義に安倍頼時追討を命じる。十二月、征夷続行のため頼義、陸奥守再任。,安倍頼時、死去。 ●天喜五年(一〇五七)十一月、黄海の戦い。源頼義、河崎柵で安倍貞任に敗れる。
通史編1(古代・中世) (前九年合戦の勃発)

今は昔、陸奥国に安倍頼時という兵がいた。
通史編1(古代・中世) (奥大道と文物の流通)

『今昔物語集』には、安倍頼時が北の胡国を目指したという説話があるが(史料四三七)、こうした伝説の背後には
通史編1(古代・中世) (四 中世津軽の宗教世界の特色)

この「俘囚」なる呼称は、このあと平安後期に至るまで、「俘囚安倍頼時」とか「出羽山北俘囚主清原真人光頼」
通史編1(古代・中世) (一 中世寺院の建立)

『今昔物語集』にみる安倍頼時の渡道は、津軽海峡を挟む津軽と夷島との交通を文献的に証明する一大事象である
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

八月、源頼義に安倍頼時追討を命じる。十二月、征夷続行のため頼義、陸奥守再任。,安倍頼時、死去。
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