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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (憩いの地としての南溜池)

「国日記」天保十三年(一八四二)十一月二十七日条には、大円寺宵宮の時節に雑踏のなかで起きた喧嘩の記録があり,現代でも大円寺宵宮の著しいにぎわいからして、当時の宵宮に押し寄せる弘前の人々の姿が想像されよう。
通史編4(近・現代1) (「ねぷた喧嘩」と町道場)

宵宮とか人出の多い祭りにはつきものとなっていたが、しだいに気勢が上がると、やじ馬まで巻き込んで、大変な,新聞記事に見る青森県日記百年史』(東奥日報社、一九七八年)は、明治三十四年(一九〇一)六月二十四日に起きた宵宮,宵宮帰りの乱闘 弘前 明治館派と陽明館派が  弘前における青年の闘争は十数年前までは常にありがちなりしも,同市富田新町、木村徳治、南郡田舎館村大字八反田当時品川町寄宿阿保徳弥らには、同市和徳町なる稲荷神社の宵宮,某所に要撃して重傷を負わしめたるよしにて、これがため明治館派の学生の憤激一方ならず、遂に再び昨夜稲荷の宵宮
通史編3(近世2) (盆踊り)

図20.盆中魂祭の図 図21.盆踊りの図  夏は、寺社の宵宮、ねぷた、盆踊り、盆休みの,天保二年(一八三一)には、商人以外の婦人が夜間、宵宮・盆踊りに出ることを禁止し、藩士の子供・召使が通行人,安政元年(一八五四)には、町奉行と勘定奉行の間で、宵宮・ねぷた・盆踊りの問題点が出され、その中で、盆踊
通史編3(近世2) (金木屋の生活)

帰途にみた身代り地蔵尊(龍泉寺(りゅうせんじ)―現市内新町―境内にあり)の宵宮が大変にぎやかであった。,子供たちは宵宮(身代り地蔵尊の宵宮か)に参詣するため昼過ぎに出かけて行った。,(4)虫送り・雪売り・宵宮の様子、寺社への参詣とその様子を記している。
通史編3(近世2) ((一)年中行事と生活)

町人を中心とする行事では代表的なものとしてねぶた・宵宮・盆踊りがあるが、これらについては第五章第三節を
通史編2(近世1) (飢饉のその後)

それでも七月には所々で七夕祭りや宵宮があり、酒盛りなどが開かれにぎわいをとり戻してきたという(『天明卯辰日記
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