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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (八 封内事実秘苑(ほうだいじじつひえん))

八 封内事実秘苑(ほうだいじじつひえん) 文政二年(一八一九)に工藤源左衛門行一が編集した津軽弘前藩 / 八 封内事実秘苑(ほうだいじじつひえん)
資料編1(古代・中世編) (二 乳井茶臼館の歴史)

しかし、『津軽一統志』や『封内事実秘苑』によると、戦国時代にこの地を領していたのは、乳井福王寺の別当で,、子の乳井大隅建清は大浦為信の麾下に属し、以後、大浦勢の有力メンバーとして行動する(『津軽一統志』『封内事実秘苑,一時窮地に追い込まれる(蠣崎季広書状写、蠣崎慶広書状写、いずれも秋田藩採集文書「奥村立甫家蔵文書」、及び『封内事実秘苑,『津軽一統志』『封内事実秘苑』『永禄日記』など近世の記録は、いずれも、このとき「秋田の比山勢」が侵入して
通史編3(近世2) (入学式)

「封内事実秘苑」は入学の式典のさまを「正敷(まさしく)唐人の真似之様」で、「其動作六ヶ敷事計」と書きとどめているが,「封内事実秘苑」は、その状況を伝えて、当世、何事も「唐流」になり、家老を「唐風」に「国相」と、勘定奉行
資料編1(古代・中世編) ((3) 津軽氏の政庁としての堀越城)

この記事は『封内事実秘苑』にもあり、この時点ですでに、為信が新たな拠点として堀越城に注目し、その強化に,御引越被仰付、其外寺社之分も引越被仰付候」(『永禄日記』)、あるいは「寺院並町々共大浦より堀越へ移る」(『封内事実秘苑,地に「町屋派立を仰付けられ」て地割を行い、同十一年にも、「町屋相立て」て住民の移住を促したという(『封内事実秘苑
通史編2(近世1) (一五 御定法古格(ごじょうほうこかく))

一五 御定法古格(ごじょうほうこかく) 「封内事実秘苑」の別巻として編集されたものとされる。
通史編2(近世1) (「津軽一統志」以降の修史事業)

つがるへんらんにっき)」(以下「徧覧日記」と略記)、藩士工藤行一が編纂した、文政二年(一八一九)の自序をもつ「封内事実秘苑,図117.津軽徧覧日記と封内事実秘苑 (津軽徧覧日記) 目録を見る 精細画像で見る (封内事実秘苑
通史編3(近世2) (金木屋による養蚕と製織)

「封内事実秘苑(ほうだいじじつひえん)」(弘図郷)天保元年(一八三〇)五月条によると、武田甚左衛門(当時勘定小頭格,同じく「封内事実秘苑」天保元年六月条には、在府町の金木屋甚左衛門織座の状況について次のように記されている
通史編2(近世1) ((一)宝暦の飢饉)

しかし津軽領の場合、「封内事実秘苑」(資料近世2No.六)に「今年の凶作は全国的な飢饉となり、特に国元
資料編1(古代・中世編) ((2) 戦国時代の堀越城)

この話は、『津軽一統志』『封内事実秘苑』にもあるが、「歴譜」とは若干異なって、為信は父守信の戦死後、しばらく,重要な前進基地となっており、戦いの際は為信自らが堀越城に入って全軍を指揮したという(『津軽一統志』『封内事実秘苑
通史編2(近世1) (近世における史書の編纂)

現在我々が知っているのは、享保年間に編纂された「津軽一統志」、寛政期に編まれた「津軽徧覧日記」、文化期の「封内事実秘苑
通史編3(近世2) (悪戸村における製陶)

「封内事実秘苑(ほうだいじじつひえん)」(弘図郷)の文政九年七月二十四日条によると、藩主が湯口(現市内下湯口,「封内事実秘苑」天保元年(一八三〇)二月十一日条によると、湯口村(下湯口を含む)では国産陶器の焼成が引,なお「封内事実秘苑」天保十一年十二月十八日条に、悪戸村瀬戸座で肥前(現佐賀県)の瀬戸師宇吉(うきち)(
通史編3(近世2) (養老礼)

御城付物頭 七十二歳)、石山喜兵衛、成田文左衛門、三橋次左衛門、「庶老」は菊池寛司他一九人であった(「封内事実秘苑
通史編3(近世2) (誓願寺)

一六八八)に誓願寺が焼失した時に失われたものとみられる(「国日記」貞享五年三月十九日条、『永禄日記』、「封内事実秘苑
通史編2(近世1) (家臣団の成立)

文政二年(一八一九)の自序を持つ「封内事実秘苑(ほうだいじじつひえん) 巻一」(弘図郷)には、為信時代,また、「封内事実秘苑 巻三」(弘図郷)の慶安四年(一六五一)十月十日条には、外浜(そとがはま)に新たに
資料編1(古代・中世編) ((2)戦国時代の「石川城(石川大仏ケ鼻城)」)

一気に陥落させ、南部高信を自害させて、独立への第一歩を踏み出した(『永禄日記』『封内事実秘苑』『津軽一統志,石川城への敗走途中、討ち死にした(『封内事実秘苑』『津軽一統志』、石川城で自殺したともいう)。
通史編3(近世2) (大学の前触れ)

(12)在宅の次、三男は学寮ができるまで、通学可能の者のみ入学を許可する (「封内事実秘苑」)。
資料編1(古代・中世編) (一 東目屋地区の中世城館と領主の歴史)

さらに『封内事実秘苑』では、彼らのうち桜庭・黒土・蒔苗・大秋・中畑の五人が、大浦為信の津軽統一作戦において
資料編2(近世編1) (―例言―)

また、同館所蔵史料のうち「津軽編覧日記」は八木橋文庫本を、「御用格」は津軽家文書を、「封内事実秘苑」は
通史編3(近世2) (凡例)

□・資料近世2□頁、津軽歴代記類……記類、津軽藩旧記伝類……伝類、津軽徧覧日記……徧覧日記、封内事実秘苑
通史編2(近世1) (「標符(通帳)」発行の前提と経過)

たいしゃくむさべつれい)についても、『平山日記』では六月の条にあり、九月の条に記載する「津軽歴代記類」・「封内事実秘苑,また一商家一家業令については「封内事実秘苑」では九月の条に、「津軽徧覧日記」では十月の条に記載されている
資料編3(近世編2) (-例言-)

また、同館所蔵史料のうち「津軽徧覧日記」・「弘前藩記事」は八木橋文庫本を、「御用格」は津軽家文書を、「封内事実秘苑
通史編2(近世1) (御用金の賦課)

であったが、同年のうちに三分の一が返済され、残りは翌年までに代米で返済されたことが、同家文書および「封内事実秘苑
通史編2(近世1) (凡例)

□・資料近世2□頁、津軽歴代記類……記類、津軽藩旧記伝類……伝類、津軽徧覧日記……徧覧日記、封内事実秘苑
資料編1(古代・中世編) (五 東目屋地区の中世城館の特徴)

それがいつのことで、どのような変動だったのか、この館の館主は誰だったのか等々、現時点では具体的にしがたいが、『封内事実秘苑
資料編1(古代・中世編) (二 大浦城の歴史)

堀越城を修築して移り、大浦の寺院・町々も移転させたという(『永禄日記』『愚耳舊聴記』『津軽一統志』『封内事実秘苑
通史編3(近世2) (寛政期の城下)

一方、藩士土着政策実施中の寛政六年(一七九四)には学校が新たに創設されることになり、「封内事実秘苑」(
資料編2(近世編1) (【解説】)

ほかに準官撰史書ともいうべき「封内事実秘苑(ほうだいじじつひえん)」(文政二年<一八一九>の成立、別名,編纂物で綱文の内容を構成する場合は、基本的に最も古い成立の「津軽一統志」、ついで「津軽編覧日記」、「封内事実秘苑
通史編3(近世2) (弘前市内寺院所蔵の彫刻・絵画)

津軽一円の寺院に二〇数体残されているが、これもうち二〇〇体は津軽に運ばれる途中海中に没したという(「封内事実秘苑
資料編1(古代・中世編) (五 乳井地区の城館群と宗教的領域)

一五七九)、津軽に侵攻した檜山勢が乳井地区を占領し、この地を基地として駐屯したのも、『津軽一統志』や『封内事実秘苑
資料編2(近世編1) (第一章 編年史料出典・典拠一覧)

…………………………………岩手県立図書館 宝翰類聚 坤…………………………………岩手県立図書館 封内事実秘苑
通史編3(近世2) (ねぷたの起源と変遷)

そのほかに「封内事実秘苑」・「津軽徧覧日記」(ともに弘前市立図書館蔵)、『永禄日記』(一九五六年 青森県文化財保護協会刊
資料編3(近世編2) (【解説】)

であったものが任命されており、切支丹改めの作業が進む中で設置され、天和二年(一六八二)七月に月番制の採用があり(封内事実秘苑
資料編2(近世編1) (【解説】)

弘前市立図書館所蔵の津軽家文書、八木橋文庫、旧八木橋氏所蔵史料、岩見文庫などの所収文書、津軽一統志や封内事実秘苑
通史編2(近世1) (「標符(通帳)」の形態と呼称)

このほか「別段標符」というのが「封内事実秘苑」(資料近世1No.九四〇)にみえる。
通史編3(近世2) (三 八幡宮の祭礼と山車の運行)

「封内事実秘苑」(弘図郷)には、領内各所から見物に来たとある。  
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

… 封内事実秘苑・長雲山藤先寺縁起 307 ●永禄十二年(一五六九)三月十五日、「津軽之南部弥左衛門」,… 愚耳舊聴記・永禄日記・封内事実秘苑 312 ●元亀三年?,………… 永禄日記・封内事実秘苑 315 ●天正二年(一五七四)三月、津軽斎藤氏、系譜を作成する。,… 愚耳舊聴記・永禄日記・封内事実秘苑 318 ●天正四年(一五七六)ころ? ,… 永禄日記・封内事実秘苑・弘前藩記録 326 ●天正七年(一五七九)七月、奥羽の諸大名、織田信長に鷹
資料編3(近世編2) (【解説】)

本節では、こうした稽古館の歴史的経過をたどれるよう、「弘前藩庁日記」・「稽古館創記」・「封内事実秘苑」
通史編3(近世2) ((二)相撲興行)

この事件により笠井は知行没収となり、生涯外出することを禁じられた(『御用格』「封内事実秘苑」)。  
資料編2(近世編1) (【解説】)

基本的には「弘前藩庁日記」をもとに、適宜「津軽編覧日記」と「封内事実秘苑」を織り込んだ。
資料編1(古代・中世編) (四 城館の構造)

ⅡA(二之丸)・曲輪ⅡB(三之丸)・曲輪Ⅲ(西の小丸)に相当するもので、『永禄日記』『津軽一統志』『封内事実秘苑
資料編3(近世編2) (【解説】)

この事件は江戸においても評判になるほどであったが、一連の過程を「封内事実秘苑」によって示した。  
資料編1(古代・中世編) (出典・典拠一覧(第一章・第二章))

 ……………………………………………………………………………………………………… 日本古典文学大系 封内事実秘苑
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