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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編2(近世編1)
(第一節 領内支配と支配機構の整備)
家臣団の形成 五 家中払米の展開(旧八木橋氏所蔵) (一)青森 (二)鰺ヶ沢 (三)
小泊
通史編2(近世1)
(海防報告書にみる天保期の海防体制)
十三遠見番所 2 脇元村遠見番所 2
小泊
浦番所,2 1 1
小泊
七ツ石崎大筒台場 5 2 上宇鉄遠見番所,5
小泊
七ツ石崎台場 4 龍浜崎台場 1 4 三 厩 5 今 別,3(1) 2(2) 2 1 十 三 3(1) 2(2) 1 1 1
小泊
七,大筒台場は、大間越・深浦・金井ヶ沢・鰺ヶ沢・十三・
小泊
七ツ石崎・龍浜崎・袰月浦鷹野崎・蟹田・青森の各所
通史編2(近世1)
(家中払米の展開)
一方、松前に近い、
小泊
・十三からも松前へ米の積み出しがみられた。,同年三月二日付の嶋村善之助の
小泊
沖口出米願書(同前No.八〇八)は、自分の米四〇石を松前へ積み出すことを,同年四月十六日付の長山助左衛門の
小泊
沖口出米願書(同前No.八〇九)は、自分の米一三石を松前へ積み出すことを,このように、青森をはじめとして鰺ヶ沢・
小泊
・十三湊など領内の各湊から松前へ藩士の米が家中払米として積み
通史編2(近世1)
(異国船打払令の発令と津軽弘前藩)
る 精細画像で見る まず、海岸の防備は、この時期までに大間越・深浦・金井ヶ沢・鰺ヶ沢・十三・
小泊
,また高札を大間越から野内までの八浦、その外に金井ヶ沢・
小泊
・平舘・油川に立てることとし、作事奉行に命じて,立て札を作らせ、設置については八浦がそれぞれの町奉行、金井ヶ沢・
小泊
・平舘・油川については郡奉行が責任
通史編2(近世1)
(領内海防と台場の構築)
藩では、松前出張の公儀役人に随行してきた幕府雇の兵学家元木謙助の検分を経て、三厩・龍浜(たっぴん)・
小泊
,現北津軽郡市浦村十三)・蟹田(かにた)(現東津軽郡蟹田町蟹田)・青森浦(現青森市)・七ツ石崎(現北津軽郡
小泊
村,鷹野崎 1 5 1 1 2 4艘 龍浜崎 2 7 1 2 5艘 七ツ石崎 (
小泊
通史編2(近世1)
(津軽領内のアイヌ民族)
津軽半島では、今別(いまべつ)村(現東津軽郡今別町)と、野田(のだ)村(現青森市)から
小泊
(こどまり),村(現北津軽郡
小泊
村)に至る津軽海峡に面した地域に、また夏泊半島では、田沢(たざわ)村から茂浦村(いずれも,村 1 ほこ崎村 1 五所塚村 2 つなしう村 1 おこたらへ村 7 砂ヶ森村 6 ほろつき村 1
小泊
村
通史編2(近世1)
(十三小廻しの成立と町の盛衰)
の盛衰 正保二年(一六四五)の「津軽国津軽郡之絵図」(青森県立郷土館蔵)の十三の湊部分に、鰺ヶ沢・
小泊
,三月二十一日付で、深浦・金井ヶ沢・大間越の沖横目所(『御定書』三九)、鰺ヶ沢・青森沖横目所(同前四一)、平舘・
小泊
沖横目所,酒造のほか、寛文六年(一六六六)には、
小泊
街道へ通じる「川」を渡る渡船の運上を免除して、交通の円滑化を
通史編2(近世1)
(旅行者のみた領内海防)
海砲台は大間越・金井沢(金井ヶ沢)・
小泊
・竜飛・三厩・平舘・大浜(油川)・青森・野内の九ヵ所にあると述,あかぼり)(現五所川原市)を通り、岩木川沿いを下って中里・脇元(現北津軽郡市浦村)を経て、三月四日に
小泊
,翌日
小泊
から北に向かった松陰の目に砲台がみえた。この砲台は、
小泊
七ツ石崎台場のことかと思われる。
通史編2(近世1)
(陸上交通網の整備)
十三~竜飛(たっぴ)~三厩(みんまや)~蓬田~油川が一本の道として扱われているが、道程帳では鰺ヶ沢~
小泊
間,鰺ヶ沢~
小泊
間は十三街道、油川~蓬田~三厩間は蝦夷地へ渡る奥州街道の延長部(松前街道)として考えられるので
資料編1(考古編)
(第1節 中世・近世遺跡の概観)
市浦村 14,15 陶磁器 4 伝山王坊跡 市浦村 14,15 陶磁器・石製品 49 5 弁天島遺跡
小泊
村,14,15 陶磁器 42 6 兎沢遺跡
小泊
村 15 陶磁器 7 中里城跡 中里町 15 陶磁器・
通史編1(古代・中世)
(後方羊蹄の所在地)
またそれが確かであるとすれば、問莵は、その音の類似から
小泊
付近の土標(とひょう)であるとする説もそれなりの
通史編1(古代・中世)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
和歌山県東牟婁郡那智勝浦町) 国文学研究資料館史料館 国立国会図書館 国立歴史民俗博物館 五所川原市教育委員会
小泊
村企画観光商工課
通史編2(近世1)
(町年寄の由緒)
慶長十一年(一六〇六)に家督を継いだ三代目の松井助左衛門のときに、十三湊の再開発に着手し、そのほかにも、
小泊
資料編1(考古編)
(4.15世紀の様相)
浪岡城跡出土瓦質土器 主要な遺跡としては、市浦村十三湊遺跡・伝山王坊跡・檀林寺跡・二ツ沼遺跡、
小泊
村弁天島遺跡
通史編3(近世2)
(農兵の動員実態と要求)
その他にも農兵が配置された場所には十三(じゅうさん)、
小泊
(こどまり)などの西海岸地方がみられ(同前)
通史編1(古代・中世)
(青森県内の田村麻呂伝説)
青森県内にも、小金山(こがねやま)神社の入内(にゅうない)観音(現青森市)・海満寺(かいまんじ)観音(現
小泊
村
通史編3(近世2)
(人家の火災)
大火 国日記 内 容 備 考 元文2年3月17日条 火の用心の徹底 元文元年3月18日~19日
小泊
村
通史編2(近世1)
(隠津出・抜け米の取り締まり)
秋田領に通じる早瀬野(はやせの)、箱館への不正な津出があった青森、ほかに他湊に通じる十三・
小泊
などで摘発
通史編1(自然・原始)
(江戸時代~明治十七年(一八八四))
)半島の佐井(さい)村にある矢根森(やのねもり)八幡(八幡堂)、むつ市女館(おんなだて)、津軽半島の
小泊
通史編2(近世1)
(災害の続発とその影響)
#160;3月19日 火災 青森 大火,焼失区域安方町・米町・浜町・新町 3月25日 火災
小泊
村,凶作・飢饉 領内 凶作は新田地帯・外浜に深刻な被害 寛保元(1741) 1月23日 火災
小泊
村
通史編3(近世2)
(藩営紙漉座と蘭医星弘道)
事業資金には算用師(さんようし)山(現北津軽郡
小泊
村・現東津軽郡三厩村)の伐木代金を充当することになった
通史編4(近・現代1)
(青森県における普通運動)
第一は米価の暴落による農民救済、第二は青森港改築の国営化、次に十和田水田事業、南部鉄道、十和田鉄道、
小泊
鉄道
資料編1(考古編)
((5)塩業)
製塩土器,土製支脚 〃 21 山本(3)遺跡 浪岡町山本 製塩土器 9C~10C 22 折戸遺跡
小泊
村字折戸
通史編1(古代・中世)
(城館タイプの分類)
小泊
村の柴崎(しばざき)城跡(写真210)もまた日本海側の航海路を睨む形を意識して作られている。
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第4章〉)
青森県教育委員会 『垂柳遺跡発掘調査報告書』(青森県埋蔵文化財調査報告書第80集) 1985年 42)
小泊
村教育委員会, 『弁天島遺跡発掘調査報告書』(
小泊
村文化財調査報告書第1集) 1985年 43) 浪岡町教育委員会,平賀町埋蔵文化財報告書第11集) 1983年 *24 工藤清泰・ほか 『弁天島遺跡発掘調査報告書』(
小泊
村文化財調査報告書第
通史編2(近世1)
(材木移出)
⑦十三・脇元・
小泊
へ着岸した船の難破救助をする(第十七条)。 などが定められた。
通史編1(自然・原始)
(太平洋プレート以前のこと)
弘前市の南部に露出する付加体堆積物とよく似たものは、県内では他に尻屋崎(しりやざき)付近や八戸付近、
小泊
通史編3(近世2)
(松前方面の攻防と青森)
また、
小泊
(こどまり)・鰺ヶ沢(あじがさわ)など西北沿岸の湊へも順次警備強化が命令される。
通史編2(近世1)
(糧米確保)
十三 53.2(22.7) 47.6(20.4) 58.8(24.7) 53.2(22.4)
小泊
通史編2(近世1)
(安政期の蝦夷地警備と交通問題)
蝦夷地だけでなく、領内沿岸の警備体制も強化しなければならず、従来の三厩(みんまや)・竜飛(たっぴ)・
小泊
通史編3(近世2)
(金木屋の生活)
十日、このごろ漁獲が多く、下前(したまえ)(現北津軽郡
小泊
(こどまり)村)より新鮮な鰯を売りにきた。
資料編1(考古編)
(第2節 中世・近世の考古学研究略史)
蓬田村蓬田大館遺跡*22では県内出土陶磁器では最も古い青磁・白磁が出土、平賀町五輪堂遺跡*23や
小泊
村弁天島遺跡
資料編1(古代・中世編)
([十五世紀])
●嘉吉三年(一四四三)十二月、下国安藤盛季、
小泊
より蝦夷島へ渡り、文安元年死没するという。
通史編3(近世2)
(諸役と仲間)
40文目 塩釜壱枚 35文目(外浜通) 西浜通は25文目 炭竃 大釜1枚に付き(不明)・小釜2朱
小泊
壱所
通史編2(近世1)
(林政の展開と漆木の栽培)
樹木の伐採が可能な山で、上山通り(碇ヶ関の山林から目屋の沢山林までの九山)、中山通り(前田の目山林から
小泊
山林
通史編1(古代・中世)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
写真207 南津軽郡藤崎町教育委員会 写真208 弘前市蔵 写真209 同上 写真210 北津軽郡
小泊
村企画商工観光課写真提供
資料編2(近世編1)
(新編 弘前市史 資料編2(近世編1) 目次)
(二)鰺ヶ沢 …………………………………………………………………………… 四一〇 (三)
小泊
通史編1(古代・中世)
(一 古代における北奥の宗教世界)
『津軽一統志』が「古跡」として「十三湊 当城北
小泊
崎並其中間者山也。
資料編1(考古編)
(〈注及び参考文献一覧…第3章〉)
『将木館遺跡発掘調査報告書』東通村教育委員会 1981年 *206 鈴木克彦・松岡敏美 「青森県
小泊
村
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●寛永十年(一六三三)八月ヵ、幕府巡見使、津軽領内を廻り、
小泊
から蝦夷地へ渡海する。
資料編1(古代・中世編)
(第一章 綱文・史料一覧)
………………………… 新羅之記録 247 ●嘉吉三年(一四四三)十二月、下国安藤盛季、
小泊
より蝦夷島へ
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