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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(鉄道の開通と運輸事業)
青森五人、弘前三人(田辺粂吉・福津兼蔵・鹿内友蔵)、碇ヶ関二人、蔵館(現大鰐町蔵館)三人、大鰐二人、
小湊
,(現平内町
小湊
)一人、野辺地一人で構成され、相当広い営業圏を持っていた。
資料編1(考古編)
((5)塩業)
〃 東田沢字大沢 製塩土器 〃 7 釜場遺跡 〃 浦田字釜場 〃 〃 8 雷電際遺跡 〃
小湊
字雷電際, 〃 〃 9
小湊
遺跡 〃
小湊
〃 〃 10 近野遺跡 青森市安田字近野 製塩土器,土製支脚
通史編2(近世1)
(材木移出)
出し湊としては、十三川湊(とさかわみなと)・中師(ちゅうじ)(現東津軽郡蟹田町)・今別(いまべつ)・
小湊
,もちろん、この材木が十三湊から移出されたとはいえないが、十三川湊・中師(蟹田)・今別・
小湊
のいずれかの
通史編5(近・現代2)
(太平洋戦争始まる)
昭和十七年一月二日から四日まで、東亜連盟協会中央講習会が安房(あわ)
小湊
であり、石原莞爾、中山優らの講義
通史編3(近世2)
(捕虜となった庶民)
藩ではこれを放置すれば士気にかかわると判断し、腰縄つきで
小湊
村(現東津軽郡平内町)の弥助という農民にお
通史編2(近世1)
(旅行者のみた領内海防)
彼は翌日、
小湊
(こみなと)、狩場沢(かりばさわ)を経て南部領へと抜けている。,この日は口広(くちひろ)・
小湊
・土屋(以上、現東津軽郡平内町)・浅虫・野内を通過し、青森に七つ時(午後四時
通史編2(近世1)
(海防報告書にみる天保期の海防体制)
番士 番人 下番 足軽 土屋村浦番所 2 4 田沢村遠見番所 2 5
小湊
村代官所,14年3月調べ) 弓(張) 長柄(筋) 鉄炮(挺) 土屋村浦番所 5 5 田沢村遠見番所 3
小湊
村代官所
通史編2(近世1)
(陸上交通網の整備)
鰺ヶ沢~十腰内(とこしない)~弘前~藤崎~浪岡~新城(しんじょう)~油川(あぶらかわ)~青森~浅虫~
小湊
通史編3(近世2)
(戦局の展開と兵員の不足化)
弘前藩では、箱館異変の報に触れて渡海直前の大番頭木村繁四郎(杢之助(もくのすけ))の部隊を八月三日に
小湊
通史編1(自然・原始)
(太平洋戦争終結後)
で行われ、四月には小野忠明(おのただあきら)(一九〇三~一九九四)が平内町郷土史研究会とともに、同町
小湊
通史編1(自然・原始)
(第一節 注および引用・参考文献)
-青森県亀ヶ岡低湿地遺跡の研究-』 有隣堂出版 一九五九年六月 C 清水潤三 「青森県東津軽郡
小湊
遺跡,青森県東津軽郡宮田遺跡」『日本考古学年報』四 一九五五年十二月 B 清水潤三 「青森県東津軽郡
小湊
遺跡
通史編1(古代・中世)
(一 古代における北奥の宗教世界)
恵林寺 同右 同右 (33) 宝泉寺 同右 同右 深浦町ヵ (34) 東福寺 同右 同右
小湊
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
(一六四八)九月八日、幕府鷹師衆、南部領より津軽外浜へ通行せんとし、伝馬・人足の準備を命じる書付写を
小湊
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