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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (一 検地・人質徴収・城破(わ)り・刀狩り)

一 検地・人質徴収・城破(わ)り・刀狩り 天正十八年(一五九〇)三月一日、豊臣秀吉は京都をたち、小田原,そして、小田原出陣中の天正十八年四月十一日に真田氏に宛てた朱印状の中で、小田原城を兵糧攻めした後に「出羽,さらに、秀吉が四月十三日に北政所の侍女五さへ宛てた消息では、日本の三分の一に相当する小田原から奥州までの,さて、北条氏を攻略した秀吉は、天正十八年七月十七日、いよいよ奥羽仕置のために小田原から会津黒川に向かった
通史編2(近世1) (知行安堵と検地)

最上氏のように、すでに大名権が確立している大名は、惣無事令以前に領国がそのまま安堵され(伊達氏の場合、小田原参陣,会津での仕置令の内容は、一つには小田原不参の大名の所領没収と新大名の配置、そして、二つ目には所領没収に,小田原不参により所領を没収された大名は、おそらく、宇都宮での知行割の段階ですでに決まっており、会津での
通史編1(古代・中世) (複雑化する城館)

たとえば日本でも屈指の戦国大名といわれる、関東の小田原北条氏を例に挙げてみると、本城(根城)が直轄支城
通史編4(近・現代1) (細民救済対策事業)

金額ノ多大ナルハ救済方法トシテ市会ノ調査セルモノトセバ果シテ如何ナルモノカ」と疑問を投げ、市会は自らを小田原評定
通史編2(近世1) (人質徴収)

小田原参陣中の四月十一日に表明した「出羽・奥州・日ノ本之果迄」の仕置、すなわち、日本の支配を完了させようとする
通史編2(近世1) (関東・奥惣無事令)

これら三通の書状は従来、天正十八年(一五九〇)の小田原攻略に際して秀吉によって発給されたものといわれてきたものであるが
通史編2(近世1) (鷹献上による豊臣政権との折衝)

天正十五年(一五八七)、九州平定に従軍、次いで同十八年、小田原の後北条攻めに従軍した。
通史編2(近世1) (豊臣再仕置軍の奥州下向)

天正十九年正月には豊臣政権の仕置軍は品川・小田原まで兵を進め、また徳川家康などは奥州への出陣のため下野国
通史編1(自然・原始) (第三節 注および引用・参考文献)

秋田県文化財調査報告書八三) 一九八一年 (40)(35)に前掲 (41)渡辺誠 「雪国の縄文家屋」『小田原考古学研究会会報
通史編2(近世1) (名護屋における「日本之つき合」)

名護屋の大名陣屋配置図  天正十八年(一五九〇)四月の段階で、秀吉は、日本の三分の一ほどに当たる小田原
資料編1(古代・中世編) ([十六世紀])

●天正十八年(一五九〇)五月一日、小田原在陣中の豊臣秀吉、大政所に手紙を送り、関東奥羽仕置のことを述べる
資料編1(考古編) (〈注一覧…第2章〉)

秋田県杉沢台遺跡」『探訪縄文の遺跡 東日本編』 1985年3月 *206 渡辺誠 「雪国の縄文家屋」『小田原考古学研究会会報
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●天正十八年(一五九〇)七月十一日、高野山遍照光院良尊、八戸政栄に書状を遣わし、南部氏の小田原参陣成就
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

………………………… 津軽家文書 358 ●天正十八年(一五九〇)五月一日、小田原在陣中の豊臣秀吉、大政所
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