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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(陸上交通網の整備)
」(資料近世1No.一〇四九、以下「大道
小道
帳」と略記)である。,また大道
小道
帳は領内の主要道路を、大道筋・
小道
・脇道・磯辺路に分けているのに対し、道程帳は大道筋・脇道,
小道
・脇道・磯辺路・浜道として両帳に共通して記載されているのは、大道
小道
帳では西根
小道
とある弘前~百沢,大道
小道
帳ではこの他にも
小道
・脇道の記載が多数あるが、浪岡~高田~荒川~浜田~青森間の大豆坂(まめさか,図83.大道
小道
帳の表紙と内容の一部 目録を見る 精細画像で見る
資料編1(古代・中世編)
(四 城館の構造)
四 城館の構造 大浦城跡は、慶安二年(一六四九)の「津軽領分大道
小道
磯辺路并船路之帳」(弘前市立図書館蔵八木橋文庫,、以下「大道
小道
之帳」と略称)に「八幡古城」として紹介され、本丸・二の丸・三の丸・西の小丸(西の丸)の,に「北ノ郭」があった可能性もあげているが、ここは現在水田となっている低地で、明瞭な遺構はなく、「大道
小道
之帳
資料編1(古代・中世編)
(五 堀越城下(都市としての堀越)の構造)
先に紹介した「大道
小道
之帳」でも、「城下西より南へ町屋有」との注目すべき記述があった。 ,絵図に記された街道・集落の姿は、明治の分限図に記された街路・短冊型地割と基本的に変わらないし、「大道
小道
之帳
資料編1(古代・中世編)
(一 大浦城の立地と現状)
大浦城はまた、地名を取って「大浦賀田城」(『新撰陸奥国誌』)「八幡城」(慶安二年「津軽領分大道
小道
磯辺路并船路之帳
通史編1(古代・中世)
(四 中世津軽の宗教世界の特色)
其ヨリ四十四年ノ後、桓武帝ノ延暦中ニ征東将軍坂上大宿禰田村丸麿、大ニ征伐シテ終ニ多賀城ヨリ、
小道
八百四十里,亦其ノチ六百七十余年ヲ経テ、後花園帝ノ嘉吉三年、武田太郎源信廣、海ヲ越テ蝦夷国ヘ乱入シ、終ニ地ヲ得コト
小道
四百二十里,此松前ノ北ノ限リヲ熊石ト云、多賀城ヨリ熊石マデ
小道
一千三百二十里、今道二百二十里也。
資料編1(古代・中世編)
(五 大浦城と「城下」の構造)
慶安二年の「大道
小道
之帳」でも「南北の方に町屋有り」と記しているから、こうした伝承は基本的に事実と考えてよいであろう
資料編1(古代・中世編)
(四 城館の構造)
四 城館の構造 慶安二年(一六四九)の「津軽領分大道
小道
磯辺路并船路之帳」には、「堀越古城」として、,先に紹介した慶安二年(一六四九)の「津軽領分大道
小道
磯辺路并船路之帳」でも、ⅡAを「二之丸」、ⅡBを「
通史編1(古代・中世)
(堀越城と城下町)
でもっとも基本となった資料は、天和四年(一六八四)の「堀越村書上絵図」と慶安二年(一六四九)の「津軽領分大道
小道
之磯辺路并船路之帳
通史編2(近世1)
(青森町の成立と青森開港)
また慶安二年(一六四九)の「津軽領分大道
小道
磯辺路并船路之帳」(資料近世1No.一〇四九)には、「油川
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
青森之図(青森御町絵図)弘前市立図書館蔵津軽家文書 82 西津軽郡深浦町 圓覚寺蔵 83 津軽領分大道
小道
磯辺路并船路之帳
資料編2(近世編1)
(編年史料 (天正十七年~明暦二年))
●慶安二年(一六四九)二月、津軽領分大道
小道
磯辺路并船路之帳を作成し、江戸へ運搬させる。
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