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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (町役)

人足役を地子銀納にしたことにより、地子銀で町人足を雇用し、それを小遣と称し、約一〇〇人を常抱えとして百人小遣,百人小遣は、支配頭二人のもとに小頭五人、ほかに小遣一〇〇人が所属した。,給禄は、小頭が切米一二三匁三人扶持、小遣は一〇〇匁二人扶持であった(同前)。,百人小遣となった者には、農村出身者が多く、その出身地域もさまざまであって、城下出身者には町端(まちはな,そのとき、人夫の割付は、貞享三年(一六八六)のそれにすることが定められ、百人小遣は解雇された。
通史編3(近世2) (町役負担と御用金)

地子銀で雇用した町人足は小遣(こづかい)と称され、約一〇〇人が常に抱えられたので「百人小遣」と呼ばれた,百人小遣は支配頭二人のもとに小頭五人、小遣一〇〇人が所属し、給料は小頭が切米一二〇匁三人扶持、小遣は一,百人小遣になった者は領内村々の出身者が多く、城下出身者には町はずれの者が多かった。,4人) 6人 牢守 2両2人扶持 2人 瀬戸物焼 30俵 1人 御豆腐屋 20俵 1人 町年寄手付并小遣,このうち、名主・月行事・町年寄小遣・御用屋敷・新田会所・能役者屋敷・人馬請払所・鍛冶役所・具足役所などが
通史編2(近世1) (町方支配)

町年寄には、物書三人・小遣六人・人馬割所での小遣四人が付属していた。,そして、これら小遣への給銭を出す町内は、本町(ほんちょう)・東長町(ひがしながまち)・土手町・茂森町・,正徳期、町名主の小遣は、支配の町人から一人ずつ一一町から出され、各町内の屋敷持(町役としては中役)四軒
通史編2(近世1) (「標符(通帳)」の形態と呼称)

現存のものがないため、諸史料から想定するしかないが、小額の標符のことで、日々の「小遣」用として用いられたようである,「小通」は日々の小遣いのために員数方へ持参した標符を小札に切り分けたものという。,少しずつしか購入ができないことから、「切通帳(きりかよいちょう)」というのができたとし、それを日々の小遣,ただし『平山日記』に、小遣いにしたいときには、標符を切り替えに御員数方へ行けば、何匁何分と記した「横帳面
通史編2(近世1) (地方支配機構の確立)

代官所の機構は、無縁手代(むえんてだい)一八人・同小遣(こづかい)二四人・同三口一五人、別に御百姓手代二九人,・同小遣四人・同三口二二人となっており、これらの遣ごとの人数・職務の具体的な内容については不明であるが
通史編3(近世2) (江戸での買い物)

一八六六)五月に弘前を出発、江戸へ登って江戸藩邸に勤務し、翌三年三月に弘前へ帰るまでの費用を詳細に記した小遣帳
通史編3(近世2) (出開帳)

弘前では、一行二六人の賄いを町人大津屋九右衛門・山本三郎兵衛に命じ、給仕二〇人、掃除役一〇〇人、小遣四人
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