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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (就学励行)

就学励行 本県の学齢児就学率は明治三十年(一八九七)の時点で五五%にすぎず、全国第四四位の位置にいた,、末端の小学校にまで及ぶ措置をとったが、これら視学官や視学が最も力を注いだのは、就学奨励とそれによる就学率,そのような現場の苦労が報いられて、就学率は増加し、三十年度末に五五%だった県の就学率は、三十四年度末には,ちなみに三十四年度末の県内各郡市の学齢児童就学率は表52のとおりである。,平均就学率の最高は弘前市の九一・八五%で、最低は下北郡の六六・三七%。
通史編4(近・現代1) (市制施行と小学校)

の二十二年「弘前市第一回事務報告」によると、この年の就学児童は高等・尋常合わせて男子二〇一八人、その就学率,は五三%、女子七〇九人、就学率は三一・三%で、男女とも県内最高率ではあるが、全国的には高いといえず、就学率向上
通史編4(近・現代1) (弘前高等女学校の開校)

しようという動きが生まれてきたのは明治三十年代まで待たなければならなかったが、女子の初等教育における就学率,女子の学齢児の就学率はどうであったかというと、弘前市では学齢児童の比率は、八〇・三五%(うち男九四・二五,%(男九〇・四九%、女三七・〇〇%)、南郡では六〇・九〇%(男八九・〇〇%、女三〇・二二%)県全体の就学率,競争相手もなく、すんなりと弘前市に決まったのは、女子就学率が最高であったことが幸いしたのである。
通史編4(近・現代1) (学事奨励と天皇御巡幸)

学事奨励と天皇御巡幸 県内の就学率向上と学事奨励のため、明治七年から県令(県知事)による学校視察がしばしば,それは天覧授業を契機に、県内小学の就学率が急激に上昇している事実からも明らかである。  
通史編5(近・現代2) (青年学校振興運動)

青年学校振興運動 義務制にしたため、青年学校の就学率は向上したが、出席率は甚だ振るわなかった。
通史編5(近・現代2) (青年学校就学の義務制)

ところが、男子青年の就学率が悪く、約三分の一の者がいずれの学校にも就学しないまま取り残されていた。
通史編4(近・現代1) (含英女小学創設)

弘前でも女子の就学率は極めて低く、明治七年九月白銀小学が女子部を設けたときでも、女子教育に熱心な同校教員秋元九郎次
通史編4(近・現代1) (試験法と地方集合試験)

厳重な試験法は教育の普及と就学率の上昇を阻害する一面を持っていたのである。
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