• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 5件
辞書ファセット
/ 1ページ
通史編2(近世1) (鉱山の開発)

ところで、津軽領の鉱山の中でも最大かつ代表的な鉱山としては、尾太(おっぷ)鉱山(現中津軽郡西目屋村)の,尾太鉱山は、正確には、湯ノ沢川上流の両岸、尾太岳(一〇八三・四メートル)の中腹から山麓一帯にかけて分布,その後、藩では、尾太鉱山を藩が経営する直山(じきやま)から銀主・山師に経営を大幅に委譲する請山(うけやま,また、大きな銅・鉛の鉱脈が発見され、尾太鉱山は銅・鉛鉱山としての最盛期を迎えた。,図101.尾太鉱山の図  その後尾太鉱山は銅・鉛の生産が徐々に落ち、さらに出荷した製品の品質低下 / 鉱山の開発
通史編3(近世2) (猿賀神社より盗み)

これは徒(ず)刑(懲役刑)のことで、徒刑は「寛政律」の規定では、取上の御仕置場で鞭刑の執行後に、尾太(,おっぷ)銅山(現中津軽郡西目屋村、現在廃坑)や湯野沢(ゆのさわ)鉱山(現南津軽郡碇ヶ関村、現在廃坑)で,労役に従事することになっていたのだが、「文化律」段階で銅鉱山の労役に代わって牢居となった。
資料編2(近世編1) (【解説】)

近世の領主は、藩政の成立期より領内鉱山の開発には特に熱心であり、津軽領も例外ではなかった。,藩内では、すでにして十七世紀の後半から藩財政の悪化にともない、財政の再建を目指して尾太(おっぷ)、砂子瀬,なかでも尾太鉱山は、唐牛与右衛門を惣奉行として銀、銅、鉛などの採掘を積極的に行うなど、藩庁ではその開発,から産業全体を取り上げることはとうてい不可能であるから、領主権力が特段の精力を注入したと考えられる、尾太,(おっぷ)鉱山の開発と経営に関する史料と、漆木の植林奨励についての史料を掲げた。  
通史編2(近世1) (乏しい国産品)

領内の鉱山も尾太(おっぷ)鉱山以外には有力なものはなく、これら諸藩と比較して藩が積極的に専売制を施行し
通史編2(近世1) (刑罰体系)

取上の御仕置場で敲(鞭刑)が執行されてから鉱山(尾太(おっぷ)鉱山・湯野沢(ゆのさわ)鉱山)へ流され、,しかし、文化八年(一八一一)、徒刑は鉱山での苦役から牢居を命じることに変わった(「国日記」文化八年十一月七日条,それ以上の金高を滞納すれば、鉱山へ送って一日六〇文の割合で夫役に従事させた。
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました