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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(鉱山の開発)
ところで、津軽領の
鉱山
の中でも最大かつ代表的な
鉱山
としては、
尾太
(
おっぷ
)
鉱山
(現中津軽郡西目屋村)の,
尾太
鉱山
は、正確には、湯ノ沢川上流の両岸、
尾太
岳(一〇八三・四メートル)の中腹から山麓一帯にかけて分布,その後、藩では、
尾太
鉱山
を藩が経営する直山(じきやま)から銀主・山師に経営を大幅に委譲する請山(うけやま,また、大きな銅・鉛の鉱脈が発見され、
尾太
鉱山
は銅・鉛
鉱山
としての最盛期を迎えた。,図101.
尾太
鉱山
の図 その後
尾太
鉱山
は銅・鉛の生産が徐々に落ち、さらに出荷した製品の品質低下 /
鉱山
の開発
通史編3(近世2)
(猿賀神社より盗み)
これは徒(ず)刑(懲役刑)のことで、徒刑は「寛政律」の規定では、取上の御仕置場で鞭刑の執行後に、
尾太
(,
おっぷ
)銅山(現中津軽郡西目屋村、現在廃坑)や湯野沢(ゆのさわ)
鉱山
(現南津軽郡碇ヶ関村、現在廃坑)で,労役に従事することになっていたのだが、「文化律」段階で銅
鉱山
の労役に代わって牢居となった。
資料編2(近世編1)
(【解説】)
近世の領主は、藩政の成立期より領内
鉱山
の開発には特に熱心であり、津軽領も例外ではなかった。,藩内では、すでにして十七世紀の後半から藩財政の悪化にともない、財政の再建を目指して
尾太
(
おっぷ
)、砂子瀬,なかでも
尾太
鉱山
は、唐牛与右衛門を惣奉行として銀、銅、鉛などの採掘を積極的に行うなど、藩庁ではその開発,から産業全体を取り上げることはとうてい不可能であるから、領主権力が特段の精力を注入したと考えられる、
尾太
,(
おっぷ
)
鉱山
の開発と経営に関する史料と、漆木の植林奨励についての史料を掲げた。
通史編2(近世1)
(乏しい国産品)
領内の
鉱山
も
尾太
(
おっぷ
)
鉱山
以外には有力なものはなく、これら諸藩と比較して藩が積極的に専売制を施行し
通史編2(近世1)
(刑罰体系)
取上の御仕置場で敲(鞭刑)が執行されてから
鉱山
(
尾太
(
おっぷ
)
鉱山
・湯野沢(ゆのさわ)
鉱山
)へ流され、,しかし、文化八年(一八一一)、徒刑は
鉱山
での苦役から牢居を命じることに変わった(「国日記」文化八年十一月七日条,それ以上の金高を滞納すれば、
鉱山
へ送って一日六〇文の割合で夫役に従事させた。
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