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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (山伏にあるまじき行為)

山伏にあるまじき行為 「国日記」寛延三年(一七五〇)五月三日条によれば、大重院(だいじゅういん)の修験,(しゅげん)(山伏)が修験にあるまじき行為をしたため、薬師堂(やくしどう)からただちに追院(ついいん) / 山伏にあるまじき行為
通史編3(近世2) (大行院)

だいぎょういん)は、真言宗醍醐寺三宝院(現京都市)の末寺で、領内修験司頭として大峰派、羽黒派の修験=山伏,翌二年より毎年、領内の山伏を集め、藩主の繁栄と領内安全の祈祷を行うようになった。,正徳元年(一七一一)の「寺社領分限帳」によると、大峰派九八人、羽黒派一二人、合わせて一一〇人の山伏を束
通史編3(近世2) (修験)

元禄十五年(一七〇二)の「堂社縁起修験道由緒」(資料近世2No.四一二)によれば、大峰派=修験の山伏六六人,また、天台宗聖護院門跡(しょうごいんもんぜき)(本山派)に連なる羽黒派に属する山伏が二人いる。,図200をみると、山伏は領内各地の加持・祈祷を行うことで、領民の生活と密接なつながりをもっていたことがわかる
通史編1(古代・中世) (二 津軽の修験道と神社)

それは、実践的な事象としては、修行者・実践者としての山伏に対する一種の帰依信仰の形をとることが多い。,その山伏の中心道場として、紀伊半島の熊野、大峯、金峰山、出羽三山、四国の石槌山、九州の彦山などが広く世,修験の世界に身を置く山伏の活躍は、ひとり「熊野御師」のみにとどまらない。,つまり、神社の造営に当たっては、在地に伝統的に定着していた山岳信仰の行者たる山伏修験が任じられることが,安倍吉季がその岩木山神社祠官に任じられる経緯を語る次の「安倍社司由緒書」は、安倍氏の山伏修験の前歴を知
通史編3(近世2) (心応院)

元禄十五年(一七〇二)の「堂社縁起修験道由緒」には、最勝院に属する山伏七人がみえ、その中心は心応院とみられるが
通史編3(近世2) (祈祷の地としての南溜池)

翌日には大行院に「請雨御祈祷」が命じられ、白狐寺境内の南溜池に張り出した出崎に壇場を設定して、導師と山伏合
通史編3(近世2) (神宮寺)

神主は四人を配したが、中には神子・山伏出身の者もいた。
資料編1(古代・中世編) (二 各城館の位置)

また、館跡背後の海抜一五〇メートルの丘陵上部にも城館遺構らしきものがあり、「山伏館」と呼ばれている。,この「山伏館」が中世の城館跡かどうかは確認できなかったが、土地所有者によると、整地の際に陶磁器の破片が
通史編1(古代・中世) (秋田の唐糸伝説)

、唐糸は「鎌倉金沢の浜」から「空船(からぶね)」に乗せられて流され、「津軽外カ浜」へ漂着して修験者(山伏
通史編1(古代・中世) (支城の城館跡)

さらにその武者溜を通り北側の丘陵地上部に城館跡らしき遺構もみられ、地元の人によると「山伏館(やまぶしだて
通史編1(古代・中世) (秀衡と義経の死)

秀衡と義経の死 その秀衡のもとに、後白河法皇の策略などによって兄頼朝に追われる身となった義経が、山伏姿
通史編3(近世2) (社家・修験隊の組織)

がどこに侵入するかもわからず、応援人数の配置も困難だとして、社家(しゃけ)(神官)および修験(しゅげん)(山伏
資料編1(古代・中世編) ((3)城館の構造)

現時点では調査不十分だが、国吉館跡北側の丘陵上部に城館跡らしき遺構があり、「山伏館」と呼ばれていることから
資料編1(古代・中世編) (五 東目屋地区の中世城館の特徴)

この地を本拠とする領主関氏の日常的な居館であり、戦闘の際に逃げ込むための施設を背後の山に設けていた(「山伏館
通史編3(近世2) (能楽)

ただし、年齢が十五歳に満たない者・病人・女出家・山伏・白衣を着る者・脇差を帯びる者・変わった衣類を着る
通史編3(近世2) (宗教と交通統制の低下)

こうした無人・無住の小堂・小社は怪しげな旅の僧侶や山伏(やまぶし)・修験者(しゅげんじゃ)などの格好(
資料編1(古代・中世編) (二 本章で取り上げる中世城館跡)

坂本館(目屋川新館・古館、館後(たてうしろ)字新田)、38古屋敷(国吉字村元、Aのみ)、39国吉館(山伏館
通史編3(近世2) (三 八幡宮の祭礼と山車の運行)

長物五〇本を持つほか、徒(かち)一〇〇人、騎馬一〇騎が加わり、また、鎧(よろい)・兜(かぶと)を着した山伏
通史編3(近世2) (町役負担と御用金)

本銅冶町・東銅冶町,本寺町(二丁目・五丁目) 鞘師町(三丁目・四丁目),黒石町坂下,五十石町後袋町 山伏覚勝院罷在候町
資料編1(考古編) ([付図])

弘前市大字国吉7-3 経塚 平安 02026 平見岱遺跡 弘前市大字平山字平山 包含地 平安 02027 山伏館遺跡,弘前市大字平山字平山 丘陵端平坦面 包含地 縄文(後期),平安 縄文土器,土師器,石斧 23 02027 山伏館遺跡
通史編1(古代・中世) ([付図])

 〃 〃 7の3 宅地 経塚 平安 26 若葉遺跡 若葉1・2丁目 畑 包蔵地 縄文・平安 27 山伏館遺跡
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