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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(考古編)
((3)縄文時代前期)
さらに、昭和4年(1929)に
山内清男
が、下層式を4分類し、以後長期にわたってこれらの分類に基く円筒下層式土器,円筒下層式土器(正確には円筒土器下層式土器)は、前述した
山内清男
によるa・b・c・d類(今日ではd類等
通史編1(自然・原始)
(前期)
昭和初期に長谷部言人(はせべことんど)によって命名され、
山内清男
(やまのうちすがお)により細分と編年的位置付
通史編1(自然・原始)
(第二節 注および引用・参考文献)
一九七四年 (11)村越潔 「大森勝山遺跡」『日本の旧石器』二 雄山閣出版 一九七五年 (12)
山内清男
通史編1(自然・原始)
(昭和時代)
松本によるこの考えは、その後若い学徒の間に受け継がれ、前述の
山内清男
をはじめ、八幡一郎(やはたいちろう,縄文土器の研究に執念ともいうべきほどの情熱を注いでいた
山内清男
は、昭和七年(一九三二)七月から翌年二月,オセドウ貝塚は、大正末年における幾多の調査後、昭和三年(一九二八)七月から八月にかけて東京大学で
山内清男
資料編1(考古編)
((6)縄文時代晩期)
しかし、亀ヶ岡遺跡並びに同式土器は、発見が江戸時代にさかのぼるほど古いにもかかわらず、
山内清男
は、出土土器,その後、大和久震平は
山内清男
の教示を得て、昭和30年(1955)10月の秋田県能代市柏子所(かしこどころ
資料編1(考古編)
((4)縄文時代中期)
この上層式土器は、前述のように
山内清男
によりa・bの2類に分類され*44、昭和31年(1956)の『日本考古学講座
通史編1(自然・原始)
(第一節 注および引用・参考文献)
一九二四年四月 (38)A 長谷部言人 「円筒土器文化」『人類学雑誌』四二-一 一九二七年一月 B
山内清男
, 「関東北に於ける繊維土器」『史前学雑誌』一-二 一九二九年五月 (39)
山内清男
「縄紋土器型式の,56)葛西賢造 「陸奥に於ける薄手式土器に就いて」『青森県郷土誌料集』一 一九三七年二月 (57)
山内清男
, B 喜田貞吉 「日本石器時代の終末期に就いて」『ミネルヴァ』一三 一九三六年四月 C
山内清男
,・〝えくぼ〟も〝あばた〟-日本石器時代終末期問題-」『ミネルヴァ』一-五 一九三六年六月 E
山内清男
通史編1(自然・原始)
(大正時代)
(一九二五)には、当時東北大学医学部に在職中の長谷部言人(はせべことんど)(一八八二~一九六九)と、
山内清男
資料編1(考古編)
(1.古墳時代の概観)
「続縄文文化」の名称は
山内清男
によるもので、その主要な生産基盤を縄文時代と同様、漁労・狩猟・採集に置き
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第2章〉)
1965年10月 *30 長谷部言人 「円筒土器文化」(人類学雑誌42-1) 1927年1月 *31
山内清男
,1986年12月 *43 鈴木秀夫 『氷河時代』(講談社現代新書414) 1975年11月 *44
山内清男
,1月 *54 相原康二 『岩手県西田遺跡』(探訪縄文の遺跡 東日本編) 1985年3月 *55
山内清男
,秋田県教育委員会) 1957年9月 *57 芹澤長介 『石器時代の日本』(築地書館) 1960年6月 *58
山内清男
資料編1(考古編)
(〈注一覧…第4章〉)
後藤守一 『日本歴史考古学』 1937(昭和12)年 *5 昭和11年に『ミネルヴァ』誌上で、喜田貞吉と
山内清男
通史編1(自然・原始)
(発掘調査の成果)
Ⅲ式(最花式)、後期の十腰内Ⅰ群(式)に至る各形式土器が、土層の序列に従う状態で発掘され(114)、
山内清男
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