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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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資料編1(考古編)
(29.下山形礫層Ⅵ)(しもやまがたれきそう))
29.下
山形
礫層Ⅵ)(しもやまがたれきそう) 小高ほか(1970)の命名による。,模式地は、黒石市下
山形
付近の浅瀬石川北岸の中位段丘崖。 / 29.下
山形
礫層Ⅵ)(しもやまがたれきそう)
資料編1(考古編)
(〔鈴木(1972)による岩木火山形成史〕)
〔鈴木(1972)による岩木火
山形
成史〕 大沢(1962)の「古期及び新期成層火山」を新期岩木火山に / 〔鈴木(1972)による岩木火
山形
成史〕
資料編1(考古編)
(〔大沢(1962)による岩木火山形成史〕)
〔大沢(1962)による岩木火
山形
成史〕 3期に区分され、その噴出物は下位から古期成層火山*26、新期成層火山 / 〔大沢(1962)による岩木火
山形
成史〕
資料編1(考古編)
(2.東北地方における土器の出現)
における土器の出現 東北地方における最古の土器の発見は、前述のように、柏倉亮吉・加藤稔により実施された
山形
県東置賜郡高畠町,その後、この種の土器は同県下の洞穴並びに岩陰遺跡から続々と発見されるにいたり*12、
山形
県が東北地方のみならず
資料編1(考古編)
(3.浅井火山灰Ⅵ)(あさいかざんばい))
火山灰流凝灰岩と下位に連続する下
山形
礫層とともに中位段丘を構成する。,での火山灰流凝灰岩は、浅瀬石川と平川の三角形の地域一帯に分布し、浅井北方の金屋付近などでは再堆積して下
山形
礫層
通史編2(近世1)
(二七 ためし草)
著者は郡奉行
山形
宇兵衛。弘前市立図書館蔵。
通史編2(近世1)
(一 明暦検地の意義)
この検地は、明暦二年の六月下旬から七月中旬にかけて、
山形
・黒石・平内(ひらない)の順で実施されたという,現在伝えられている検地帳は二〇冊であるが、
山形
(現黒石市)・黒石・平内には三〇ヵ村以上あるので、すべての
通史編4(近・現代1)
(木製玩具製品の販売)
大正六年の産出は五〇〇〇組(三万個)で、販売額は一〇〇〇円であり、秋田、
山形
、岩手、北海道、東京に販売
資料編1(考古編)
(1.我が国における土器の出現)
が国における土器の出現 我が国における最古の土器の初現は、昭和30年(1955)から調査の行われた
山形
県日向洞穴遺跡
通史編3(近世2)
(江戸時代末期の建築)
社務所となってから若干の改造を受けてはいるが、大きな入母屋造茅葺屋根の景観は圧巻であり、
山形
県の立石寺本坊,(京都府)から伊賀(三重県)・伊勢(三重県)・近江(滋賀県)・和泉(大阪府)・山城(京都府)や出羽(
山形
通史編1(古代・中世)
(東北地方の古墳文化)
前方後円墳はさらに宮城県の大崎平野の江合(えあい)川流域、新潟平野南半部、
山形
県の
山形
盆地あたりまで北上,するが、それより北となると、
山形
県庄内平野の菱津(ひしづ)古墳(鶴岡市)、岩手県南部の角塚(つのづか)
通史編3(近世2)
(藤先寺)
中岳は為信の使者となって庄内(現
山形
県)の大山義信のもとに赴き、帰途、秋田盲ヶ鼻(めくらがはな)の関所
通史編1(自然・原始)
(一 従来の研究)
岩木山団研(一九八〇)の研究成果を踏まえて、指標火山灰の特定とK-Ar法による年代測定を実施して、火
山形
成史
通史編1(古代・中世)
(奥羽地方の戦国時代)
その結果、天文(てんぶん)四年(一五三五)の時点で、伊達氏の支配は現在の福島県北・宮城県南・
山形
県南の,六年にわたる戦いののちに勝利を収めた晴宗は、居城を伊達郡西山(現福島県伊達郡桑折町)から米沢(現
山形
県米沢市
通史編1(自然・原始)
(熱帯海洋気候イベント)
し、熱帯性の貝類が東北日本にもみられるようになり、熱帯から亜熱帯域の海岸に生育するマングローブの林が
山形
県付近
通史編5(近・現代2)
(青森県における小作人組合)
昭和元年の所得金額では、青森県を一〇〇とすれば、福島一六八、
山形
一六三、宮城一六〇、秋田一三三、岩手一
資料編1(考古編)
((4)縄文時代中期)
石狩町から室蘭市を結ぶ線を北限とし*49、南は太平洋側で岩手県一関市付近、日本海側は秋田県南部ないし
山形
県北部,また上層式土器は北において北海道の石狩平野から南の日高地方を下って襟裳(えりも)岬付近に達し、南は
山形
県南部
通史編5(近・現代2)
(歩兵第三一連隊移転問題)
秋田、
山形
、青森各県にはそれぞれ第一七・第三二・第五の各連隊と、一県に一連隊が揃っていた。,その結果、岩手県では
山形
、秋田、青森の一県一連隊と歩調を揃え、三一連隊の兵員の望郷病を防ぎ旅費の節減をはかるためにも
通史編5(近・現代2)
(日魯漁業の進出)
進出 北洋漁業資本最大手である日魯漁業は、高度経済成長期になると総合食品への多角経営を目指し、広島、
山形
資料編1(考古編)
(1.旧石器時代の住居跡)
が注目されるようになり、旧石器時代並びに縄文時代草創期の項で述べたように、九州・四国・中部山岳地帯・
山形
県
通史編3(近世2)
(戦闘の開始)
四月十七日には
山形
・上ノ山両藩に応援出兵命令が出され、二十三日には新庄に本陣を移した。
通史編1(自然・原始)
(年平均気温の経年変化)
年平均気温で一℃を越える昇温は、青森の気候が、秋田、仙台、
山形
などに相応した気候となったことを示す。
通史編5(近・現代2)
(本部封鎖事件)
占拠した昭和四十三年には、全国一一六の大学で学園紛争が発生し、東北地方でも翌年には秋田大学、東北大学、
山形
大学
通史編3(近世2)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
青森県弘前市) 高照神社(青森県中津軽郡岩木町) 多賀神社(青森県弘前市) 財団法人致道博物館(
山形
県鶴岡市
通史編4(近・現代1)
(第五十九銀行の大増資)
5,000,000 6 2,375,000 秋 田 秋田 4 5,000,000 7 2,000,000 両 羽
山形
通史編2(近世1)
(関ヶ原の戦いと奥羽の情勢)
中心となったのが、西軍に味方した豊臣政権の五大老の一人である会津の上杉景勝と、それに対する東軍の出羽
山形
,奥羽諸大名の東西勢力分布図 この後の戦況の概略をみると、上杉勢が攻勢に転じ最上領に侵攻、義光の居城
山形
城,岩城平 鳥居忠政 120,000 出羽 秋田 佐竹義宣 205,800 〃
山形
通史編4(近・現代1)
(農民組合の結成)
九年には四〇八件で、争議のなかった県は宮城・岩手・青森・
山形
・秋田・沖縄・茨城の七県にすぎなかった。
通史編5(近・現代2)
(移民問題の背景)
は地方庁と協力して移民を選出するのだが、対象は茨城、栃木、群馬、長野、新潟、福島、宮城、岩手、秋田、
山形
通史編1(自然・原始)
(前期)
とくに南では、大木式土器と混血して両土器文化の要素をもつ土器(
山形
県遊佐(ゆざ)町吹浦(ふくら)遺跡出土
資料編1(古代・中世編)
(参考文献(第四章に関連する主要文献・論文-各節の文中で記述したものは除く))
・『平賀町誌』・『岩木町誌』・『深浦町史』・『鰺ヶ沢町史』・『青森県史』・『秋田県史(考古編)』・『
山形
県史
資料編1(古代・中世編)
(協力者及び協力機関一覧(敬称略))
大円寺(青森県大鰐町) 大日堂(秋田県鹿角市) 長勝寺(青森県弘前市) 鶴岡市郷土資料館(
山形
県鶴岡市
通史編3(近世2)
(帰国の旅)
十二日、午前七時、湯原を出発、昼の休憩なく午後二時前に
山形
(やまがた)へ到着。,十三日、午前六時、
山形
を出発。館岡(たておか)で昼の休憩、午後二時すぎ尾花沢(おばなざわ)へ到着。
通史編1(自然・原始)
(中期)
海を越えて礼文島(れぶんとう)にまで渡っており(32)、南は太平洋側で岩手県の水沢市付近、日本海側は
山形
県酒田市
通史編4(近・現代1)
(明治十四年の巡幸)
明治十四年の巡幸 明治十四年(一八八一)の再度の東北巡幸は、前回対象から外れた秋田、
山形
を主として計画
通史編1(古代・中世)
(奥州合戦の勃発)
はったともいえ)の軍は福島の浜通りを、北陸道大将軍比企能員(ひきよしかず)・宇佐美実政(うさみさねまさ)の軍は
山形
方面
通史編3(近世2)
(白石会議)
49.白石城之図 この日の会議に出席したのは、仙台・米沢・二本松・湯長谷・棚倉・亀田・中村・
山形
通史編3(近世2)
(海底塗と唐塗を結ぶ磯草塗)
移動跡は、海底の図を模した若狭塗や津軽の法貴伝兵衛が塗った海底塗の技法と同様と思われ、現在でも渦巻文様は
山形
県酒田市
通史編4(近・現代1)
(電信事業)
第一六号 高知県下高知電信分局ヨリ同県下須崎
山形
県下酒田電信分局ヨリ同県下鶴ヶ岡青森県下青森電信分局
資料編1(考古編)
((1)縄文時代草創期)
この種の土器は前述のように、東北地方では当初
山形
県下の主に洞穴または岩陰遺跡で発見されており、同県が北限
資料編1(考古編)
(5.青森県における弥生時代の終局)
えてさらに南下し、太平洋側における南限は、江合川流域の宮城県玉造郡岩出山町であり、日本海岸は最上川中流域の
山形
県寒河江市
通史編5(近・現代2)
(弘前市にとっての第八師団)
第八師団は青森、岩手、秋田、
山形
を管轄し、仙台に拠点をもつ第二師団とともに、東北師団として巨大な施設を
通史編5(近・現代2)
(弘前大学の拡充)
また、平成二年には岩手大学、弘前大学、
山形
大学で構成する岩手大学大学院連合農学研究科(博士課程)へ参加
通史編2(近世1)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
秋田藤太郎宛 慶長2年2月2日付 東北大学附属図書館蔵秋田家文書 能代市史編さん室写真提供 43 『
山形
県史,』第2巻 43頁 昭和60年
山形
県刊 44 徳川秀忠御内書 津軽右京亮宛 慶長5年 弘前市立博物館蔵,と手工業」田口勝一郎編『図説秋田県の歴史』111頁 1987年 河出書房新社刊 表4 作成 表5 『
山形
県史,』第2巻 61頁 昭和60年
山形
県刊 表6 『参勤交代―巨大都市江戸のなりたち』120頁 1997年
通史編1(自然・原始)
(二 祭祀に特色を示す十腰内土器文化)
東北北部に広い分布をみせる十腰内式土器(三二七~三三二頁)は、沈線(ちんせん)で描かれた入組(いりくみ)・
山形
通史編4(近・現代1)
(電灯業の発展)
同 同 52,308 3里29町27間5尺 12里9町1尺 41年 同上以外 黒石町、尾上村、
山形
村
通史編1(古代・中世)
(異類の来襲)
写真59 大物忌神社(
山形
県遊佐町) 国家辺境の守護神として名高い。 しかしことは容易には収
通史編5(近・現代2)
(和洋裁縫女学校の躍進)
本県最初の女子の甲種(四年制)であったばかりでなく、東北としても宮城県、
山形
県に次ぐ三番目の快挙であった
通史編1(古代・中世)
(陸奥国と出羽国)
ほぼ現在の
山形
県域を覆う出羽国がこうして誕生した。
通史編3(近世2)
((三)主要人物)
○〈剣術〉小山次郎太夫貞英(おやまじろうだゆうさだふさ)(生没年不詳) 初め
山形
半十郎茂倫(やまがたはんじゅうろうしげとも
通史編3(近世2)
((三)陶磁器)
文化年間初期(一八〇四~)ころまでは、安永八年(一七七九)に藩から招かれた羽州新庄(うしゅうしんじょう)(現
山形
県新庄
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