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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(不平の源流)
明治三年夏、
山田登
は弘前巡回の岩男民部監督らに少参事の非を訴えて逆に説諭された。,しかし認められず、
山田登
は永禁固、他の四人も処罰された。,
山田登
は明治六年幽閉を解かれて出京、在京で活躍する。,写真7
山田登
建白「島津左大臣上言ニ付テノ議」(明治8年) 不平派の統領
山田登
も派の幹部菊池幸八,われるのは「旧君側ニ基ヒセリ」、「戊辰後、勤王佐幕ノ相分ルルニ原因シテ」と明治二年の藩政改革人事の怨を、
山田登
通史編4(近・現代1)
(最初の県会)
二月十日に公選された名望人県会議員は各大区から一人だが、現在の弘前地域(第三大区)で一番札は
山田登
、二番札,
山田登
は旧藩の勘定奉行、用人として功があり、山崎清良も旧藩大目付で戊辰の役で活躍、藩を勤王とした功があるが
通史編4(近・現代1)
(若き日の笹森儀助)
若き日の笹森儀助 笹森は小姓組(こしょうぐみ)時代、師
山田登
の藩政改革封書を藩主に提出して永禁錮、禄一
通史編4(近・現代1)
(弘前県から青森県へ)
特に新政府に抵抗した東北諸藩の惨めな様子を見、就中(なかんずく)、斗南県を抱え込んでいる以上、また、
山田登
,の一味四人が弘前藩政の非を弾正台(だんじょうだい)に数十ヶ条告訴し、
山田登
が永禁固、一味三十数人が処罰
通史編4(近・現代1)
(弘前士族の反発)
川越石太郎は、維新後に戸長も務めたが、維新政府の文明開化政策に反対し、旧藩主流派に怨念を抱く
山田登
や藩主
通史編3(近世2)
(一二代承昭の襲封)
その主張の急先鋒は用人
山田登
であり、彼は同志を募りながら家老西館宇膳・山中兵部・杉山八兵衛らと対決姿勢
通史編2(近世1)
(開発の実行者たち)
強権的な姿勢を示しており、同時期の八戸藩の野村軍記(のむらぐんき)(長苗代新田)、幕末の津軽弘前藩の
山田登
通史編3(近世2)
(政争の激化と第三次改革)
政争の激化と第三次改革
山田登
らはやがて同調者を集め、藩首脳の失政を挙げ連ね、明治三年(一八七〇)四月
通史編4(近・現代1)
(掲載写真・図版の典拠・所蔵一覧)
大正四年陸軍特別大演習青森県記録』弘前市立図書館蔵 写真2 「諸稟底簿」弘前市立図書館蔵 写真7 「青森県士族
山田登
建白島津左大臣上言
通史編4(近・現代1)
(県政初期の混乱)
菱田は明治三年白石按察府(あんさつふ)の権判官として弘前藩士
山田登
の強訴事件を裁いた能吏である。
通史編3(近世2)
(新しい指導者)
とおる)や山中逸郎(いつろう)を攻撃する反首脳派の直訴と思われるが、二十一日に青森に到着した後も旧用人
山田登
通史編3(近世2)
(第二次藩政改革)
特に反首脳部の急先鋒であったのは元用人で長い間無役の冷遇を受けていた
山田登
で、彼は旧御馬廻組頭津軽平八郎
資料編3(近世編2)
(【解説】)
藩内騒擾とは安政年間に十二代藩主に誰を迎えるか、家老西館宇膳と元用人
山田登
らの間に熾烈な政治闘争があったのだが
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