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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編3(近世編2) (●岩木山神社 岩木町大字百沢字寺沢)

図24 岩木山神社楼門立面図・平面図 (『重要文化財 岩木山神社本殿外四棟修理工事報告書』より転載),図25 岩木山神社拝殿立面図・平面図 (『重要文化財 岩木山神社本殿外四棟修理工事報告書』より転載),図26 岩木山神社本殿立面図・平面図 (『重要文化財 岩木山神社本殿外四棟修理工事報告書』より転載),図27 岩木山神社奥門・瑞垣 立面図・平面図 (『重要文化財 岩木山神社本殿外四棟修理工事報告書』より,図28 岩木山神社社務所 / ●岩木山神社 岩木町大字百沢字寺沢
通史編1(自然・原始) (南東麓)

たとえば、岩木山神社および高照神社は弥生面に、百沢小学校は百沢面に位置し、岩木山神社から弥生にかけては,なお、昭和五十年(一九七五)八月の百沢土石流は岩木山神社東縁の蔵助沢で発生し、青森県災害史上最大の被害
通史編3(近世2) (江戸時代前期の建築)

岩木山神社の楼門(ろうもん)が同じく寛永五年の完成であり、同年には長勝寺の三門も起工され、翌年の寛永六年,岩木山神社の楼門は、もともと百沢寺の山門として建てられたものであり、五間三戸の大規模な建築であり、量感豊,図235.岩木山神社楼門  長勝寺の三門は、先に挙げた百沢寺の山門ができたすぐ後の寛永六年(一六二九,構造手法が酷似することから、同人もしくは同系統の技術者の手になるものとの想像に難くない」と『重要文化財 岩木山神社本殿外四棟修理工事報告書,岩木山神社の拝殿は、先にも述べたように、百沢寺大堂(本堂)として慶長八年(一六〇二)に為信が建てたものを
資料編1(古代・中世編) (第一節 金属資料)

なお、隣接町村には、岩木山神社(岩木町)所蔵の「永正十四年(一五一七)作」の釣燈籠、広船神社(平賀町)
通史編3(近世2) (大社の神仏分離)

また、下居宮神社安倍貞世が岩木山神社神主に任命され、広大な境内の林は岩木山神社・百沢寺・救聞持堂(ぐもんじどう,後に岩木山神社は国幣小社(こくへいしょうしゃ)に指定され、津軽惣鎮守として多くの信奉者を集めたが、この
通史編3(近世2) (下居宮)

下居宮 下居宮(おりいのみや)(現岩木山神社、中津軽郡岩木町)は岩木山三所大権現を祀る。,図229.岩木山神社
通史編3(近世2) (長利仲聴)

長利仲聴 長利仲聴(おさりなかあきら)は幼年より岩木山神社神主阿部常陸(名は仲昌)と学問所和学士斎藤熊蔵
通史編3(近世2) (江戸時代末期の建築)

岩木山神社の社務所(しゃむしょ)は、百沢寺の本坊あるいは客殿とされていたもので、寛永六年(一六二九)に,図241.岩木山神社社務所  以上にみてきたように、慶長から寛永期にかけては、越前(福井県)・丹波
通史編1(古代・中世) (二 津軽の修験道と神社)

先達・旦那職であったことを前にみたが、実はその一族の阿部(安倍)吉季が、貞治年中(一三六二~六七)、岩木山神社祠官,岩木山神社が延暦年間(七八二~八〇六)、坂上田村麻呂を開基にして造立され、その別当寺院は百沢寺である。,その岩木山神社に修験の世界にも君臨していた安藤氏の一族の阿部氏が祠官したことは、津軽地域における神社造営,安倍吉季がその岩木山神社祠官に任じられる経緯を語る次の「安倍社司由緒書」は、安倍氏の山伏修験の前歴を知
通史編4(近・現代1) (運送業の活躍)

その他市外行きとしては、中津軽郡岩木村百沢・岩木山神社及び嶽温泉方面行き、南津軽郡藤崎町行き、南津軽郡柏木町村
通史編3(近世2) (協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))

青森県立郷土館 秋田市立佐竹史料館 悪戸町会(青森県弘前市) 出光美術館(東京都千代田区) 岩木山神社
資料編3(近世編2) (はじめに)

さらに慶長年間の後半には長勝寺や革秀寺の本堂が造られ、寛永五年(一六二八)には岩木山神社の楼門、東照宮本殿
通史編3(近世2) (江戸時代初期の建築)

江戸時代初期の建築 慶長八年(一六〇二)の棟札(むなふだ)(長勝寺蔵)をもつ岩木山神社拝殿(はいでん,『重要文化財 岩木山神社本殿外(ほんでんほか)四棟修理工事報告書』(一九七八年)によると、社蔵(しゃぞう
通史編5(近・現代2) (漆工芸と日本画)

明治の終わりごろに大阪堺市に転居し、出雲大社、住吉大社に絵を納め、県内にも岩木山神社玉垣、中門の天井画
通史編1(古代・中世) (青森県内の田村麻呂伝説)

また岩木山神社や猿賀(さるか)神社(深沙(じんじゃ)大権現)にも田村麻呂との関係が伝えられている。
通史編3(近世2) (江戸時代中期の建築)

また岩木山神社の本殿・奥門・瑞垣(みずがき)・中門は、下居宮(おりいのみや)として日光東照宮に倣って造,『重要文化財 岩木山神社本殿外四棟修理工事報告書』には、「貞享四年(一六八七)が将軍綱吉の四十二歳の厄年
通史編4(近・現代1) (明治天皇崩御)

あて)職員モ三部ニ分レ八幡宮、神明宮、長勝寺ニ参詣セリ」「七月二十九日 児童一同ヲ引率シ公園本丸ニ於テ岩木山神社
通史編1(古代・中世) (二 北奥宗教界を彩る中世的寺社)

表4「弘前中世神社」(『弘藩明治一統誌 神社縁録』) 名称 開山 開山年次 祭神 備考 岩木山神社 坂上田村麻呂,表5「弘前近隣における古代・中世の神社」 名称 所在地 開山 開山年次 宗派 備考 岩木山神社 岩木町
通史編2(近世1) (初代為信の動向)

はこれに先立ち、領内安定を願うため神社の建立を進めており、百沢寺下居宮(おりいのみや)(現岩木町百沢の岩木山神社,百沢寺大堂(現岩木町百沢の岩木山神社)の完成を期して慶長八年(一六〇三)八月に為信が奉納した棟札も現存
通史編3(近世2) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

弘前市 巖鬼山神社 233 弘前市 新寺町稲荷神社 234 弘前市 革秀寺 235 中津軽郡岩木町 岩木山神社,中津軽郡岩木町 高照神社 239 弘前市 誓願寺 240 弘前市 蘭庭院 241 中津軽郡岩木町 岩木山神社
通史編4(近・現代1) (開化思潮の影響)

国学者もこうして時勢に同化していこうとしたが、岩木山神社の神官が明治十年に東照宮に来た時、神職を戒める
資料編3(近世編2) (●長勝寺 西茂森一丁目)

また、岩木山神社の楼門と同じように、すべての柱について、下から上までの通し柱とする特殊な構造を示しており
通史編3(近世2) (民衆の精神世界)

弘前藩の正式宗教は仏教を別とすれば、岩木山を神体とする岩木三所大権現(現岩木山神社)信仰であり、それ以外
通史編3(近世2) (寺院の動向)

〇〇俵〈一俵は四斗入=〇・四石〉であるが、この場合は四ツ成にせず一〇〇石を二五〇俵とするという意味)、岩木山神社
資料編3(近世編2) (【解説】)

神祇管領吉田家諸国社家執奏記」には、藩内で八幡宮(弘前八幡宮)・熊野宮(熊野奥照神社)・神明宮(弘前神明宮)・岩木山下居宮(岩木山神社
通史編2(近世1) (高照神社「御告書付」の開始)

高照神社は、四代藩主信政を祀り、津軽弘前藩において岩木山神社とともに厚く信仰された神社である。
通史編3(近世2) (瓦の利用)

跡地は現中津軽郡岩木町五代早稲田)・百沢寺(ひゃくたくじ)(現岩木山神社、中津軽郡岩木町)の宝蔵その他
通史編5(近・現代2) (昭和弘前市民の一側面)

一番町にあった弘前新聞社前から岩木山神社を経由し、頂上まで往復三〇キロ弱を踏破するものである。
資料編1(古代・中世編) ([十五世紀])

●応仁三年(一四六九)九月四日、岩木山神社御宝殿造営。
資料編1(古代・中世編) ([十四世紀])

●貞治年中(一三六二~一三六七)、藤崎安藤氏の一族阿部(安倍)吉季、岩木山神社祠官に任ぜられるという。
資料編1(古代・中世編) ([十六世紀])

●永禄三年(一五六〇)九月二十五日、岩木山神社御宝殿造営、棟札に大旦那南部信濃守為則、祢宜阿部与四郎仲信
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

……………… 萬沢文書 219 ●貞治年中(一三六二~一三六七)、藤崎安藤氏の一族阿部(安倍)吉季、岩木山神社祠官,………………… 熊野那智大社文書 266 ●応仁三年(一四六九)九月四日、岩木山神社御宝殿造営。,……………… 岩木山神社釣燈籠銘 282 ●永正十五年(一五一八)九月十一日、深浦円覚寺の堂宇建立、供養行,……………… 油川熊野権現宮棟札 299 ●永禄三年(一五六〇)九月二十五日、岩木山神社御宝殿造営、棟札
資料編1(古代・中世編) (出典・典拠一覧(第一章・第二章))

入来院文書 ………………………………………………………………………………………… 東京大学史料編纂所影写本 岩木山神社釣燈籠銘
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