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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (県立工業学校)

県立工業学校 東奥義塾の廃校を条件に弘前に開校した県立工業学校は、大正九年に義塾が再興するに及んで、,県立工業学校の校舎は、大正十一年十二月に竣工し、落成式が挙行された。,工業学校では明治四十五年に東京へ修学旅行をしている。,弁論の盛んな時世で、工業学校も例外ではなかった。,写真188 県立工業学校 / 県立工業学校
通史編4(近・現代1) (工業学校の創設と東奥義塾の廃校)

工業学校の創設と東奥義塾の廃校 日露戦争後、本県においても実業教育の必要が叫ばれるようになったが、県自体,それを契機に工業学校を設置しようとする動きがにわかに活発となった。,に変更することが前提であり、弘前市がうんと言わないから、やむを得ず工業学校の位置を青森とすることに決定,工業学校の位置は弘前とし、弘前は東奥義塾の変更に努力するというものである。  ,明治四十三年(一九一〇)四月から青森県立工業学校は弘前に開校することになった。 / 工業学校の創設と東奥義塾の廃校
通史編5(近・現代2) (「建築家」の誕生)

明治四十三年(一九一〇)、弘前に県立工業学校が設立され、建築科を置いた。,やがて大正時代に入ると工業学校の教師が設計活動を実践するようになる。,工業学校二代目校長・安美賀(やすみが)は、大正四年(一九一五)に黒石銀行を、大正十一年(一九二二)には,同じく工業学校教諭阿保喜久五郎(あぼきくごろう)は、堀江幸治とともに大正十二年(一九二三)に弘高職員宿舎
通史編5(近・現代2) (県立工業から弘前工業へ)

県立工業から弘前工業へ 明治四十三年に創立された県立工業学校は、昭和四年二月に二十周年を祝った。,失業者は巷に溢れ、職もなく、その影響は工業学校の卒業生にも及んでいた。  ,不況の中にも軍国主義的意識の高揚が叫ばれ、工業学校の生徒の中にも連名で血判の檄文を軍に送りつける者も現,写真72 弘前工業生スト終結し帰校(昭和7年6月)  昭和十年四月、校名を青森県立工業学校から「,青森県立弘前工業学校」に改称した。
通史編4(近・現代1) (東奥義塾の再興なる)

経営難に陥っていた東奥義塾の管理は最初弘前市へ移管されたが、その後、市が県立工業学校を誘致する際、その,東奥義塾を充てるという県との取り決めがなされると、これに従って市から県へ管理が移されるとともに、同年四月の工業学校,ヘルバート・ウェルチ外一行は青森県知事道岡秀彦等と面会し「従来東奥義塾育英会所有に関わる校地校舎をば青森県立工業学校,此度東奥義塾を再興する事になったので校地校舎は再興の東奥義塾に向って所有者より提供する事になったから、県立工業学校,下白銀町の校舎(現追手門広場)に復したのは、県立工業学校が馬屋町の新校舎に移って旧義塾の校舎を明けてからである
通史編4(近・現代1) (木製玩具製品の販売)

これは、大正五年に青森大林区署長の講話を聞いて、青森県工業学校が試作したものを改良し、着色して容器に入
通史編4(近・現代1) (工業建設の意見)

シ、当業者ノ指導ニ当ラシムルコト  (ニ)競技会、展覧会ヲ開キテ技工ヲ奨励スルコト  (ホ)県立工業学校, (ヘ)当業者ニ旅費ヲ給シテ先進地ヲ視察セシムルコト  (ト)漆液ノ栽培ヲ奨励スルコト  (チ)工業学校及試験機関,前項ノ主旨ヲ実現センカ為メ左ノ方法ヲ執ルヲ可トス (イ)同業組合準則ノ改正ヲ為スコト (ロ)県立工業学校,ノ拡張ヲ図ルコト (ハ)県立工業学校ノ卒業者ヲ収容スルタメ、当業者ヲ主トシ、法人組織ノ会社ヲ設立スルコト,ここに書かれている工業発展助長策は、弘前市やその周辺で盛んな工業種別についてであり、その奨励策の内容は、工業学校
通史編4(近・現代1) (弘前高等学校の開校)

十一月二十六日勅令第五五一号により、鳥取高等農業学校・名古屋高等商業学校・松江高等学校・富山薬学専門学校・金沢高等工業学校
通史編4(近・現代1) (建設者同盟)

弘前中学出身で東洋大学に籍を置いた創設期日本共産党の幹部斎藤久雄、その後輩で、弘前中学を退学して池袋にある工業学校
通史編5(近・現代2) (官立青森医学専門学校の開学)

昭和十四年には、科学技術教育の振興への要請に応え、工業技術者育成を目的に高等工業学校が全国七ヵ所に設置
通史編5(近・現代2) (工業都市弘前)

多くの業種の調査事項では、教育機関である工業学校や研究機関である工業試験場の協力、指導を仰ぐ必要があると
通史編5(近・現代2) (市立弘前商業学校の成立)

弘前市でもこれにこたえて、同年四月、四年制の弘前市立工業学校を新設したが、この学校は蔵主町の弘商に併設
通史編5(近・現代2) (弘前工業高校の動向)

市立商工学校に移管されていた電気科が、商工学校が商業学校へ戻ったことで再び本校へ移管され、この時点での弘前工業学校
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