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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (漆工芸と日本画)

漆工芸と日本画 このように明治期の本県の美術工芸の分野において最も活発な活動を示したのが、漆工芸と日本画,であり、その活動の中心となる工芸家・日本画家が弘前に集中しているのは、弘前藩の体制の下で、中央に通じる,写真268 高橋竹年『群猿』  このように本県の明治期の美術の活動は、幕末から継承した漆工芸や日本画 / 漆工芸と日本画
通史編5(近・現代2) (工芸運動と版画)

工芸運動と版画 大正時代末に、柳宗悦、濱田庄司(明治二七-昭和五三 一八九四-一九七八)、河井寛次郎等,により民芸を基準とした新たな工芸運動(民芸運動)が興るが、大川亮(おおかわりょう)(明治一四-昭和三三, 一八八一-一九五八 平賀町)はそれに共鳴し、農閑工芸研究所を設立し、コギン刺しや蔓細工を研究、指導した,工藤繁造(くどうしげぞう)(明治三三-昭和一一 一九〇〇-一九三六 つがる市)らと協力して、郷土の民芸工芸振興 / 工芸運動と版画
資料編3(近世編2) (三 工芸・津軽塗)

三 工芸・津軽塗 (一)塗物の生産と技術 (二)進物・献上品としての津軽塗 (三)塗師 / 三 工芸・津軽塗
通史編3(近世2) (近世漆工芸の発展)

近世漆工芸の発展 慶長八年(一六〇三)、徳川家康は江戸に幕府を開き、幕藩体制をつくり上げた。,このことは、わが国の漆工芸に二つの特色を生じさせた。  ,城下町弘前の漆工芸もこのような時代背景をもとにして展開された。 / 近世漆工芸の発展
資料編1(考古編) (6.縄文時代の工芸)

6.縄文時代の工芸 縄文時代の工芸として考えられるものには、石や粘土等を加工して作り上げた石製品・土製品 / 6.縄文時代の工芸
通史編3(近世2) (津軽における漆工芸の起点)

津軽における漆工芸の起点 縄文時代、漆を取り扱う技が青森県にあったことは、大正十五年(一九二六)、八戸市是川中居,(これかわなかい)遺跡で、多彩な漆工芸品が発掘されて以来、関係者たちの間ではよく知られていたことである,)に、漏水防止、防水、材料補強、形状安定などを目的として漆塗りが施され、武具・調度、日用雑器などの漆工芸品,藩政成立期ころの漆工芸は、藩主が召し抱えた塗師(ぬし)や蒔絵師(まきえし)が、藩主の調度の製作、武具・,この後、津軽における漆工芸の流れは、池田源兵衛とその子孫が主流となって展開された。 / 津軽における漆工芸の起点
通史編3(近世2) (江戸から明治初期への漆工芸)

江戸から明治初期への漆工芸 お抱え塗師青海源兵衛の弟子のなかに成田伊太郎(文政十一年~明治二十二年・,この図録は、明治四年から明治十八年までの工芸の図案集であり、明治初期の政府が、廃藩以降に落ち込んだ産業,古平一実らの援助を得て漆器製造をはじめ、同十三年、伊藤正良と図って漆器樹産合資会社を本町に設立し、手工芸,津軽の漆工芸は、このように多くの漆工関係者たちの努力と工夫によって政治・経済の大変革を乗り越え、天然漆,を使った工芸品を作り、新しい需要者に対応して展開を始めた。 / 江戸から明治初期への漆工芸
通史編3(近世2) (江戸中期の漆工芸)

江戸中期の漆工芸 元禄に入ると、漆工品名・図柄・技法などについても記録されるようになる。  ,このように津軽の漆工芸は、改善しようとする機運と、源太郎の帰藩を契機に新しい展開をみることになった。 / 江戸中期の漆工芸
資料編1(考古編) ((1)工芸の種類)

(1)工芸の種類 縄文時代前期の福井県三方町鳥浜貝塚では、大小さまざまな木製品が発見され、それらの品々 / (1)工芸の種類
通史編3(近世2) (江戸後期の漆工芸)

江戸後期の漆工芸 江戸時代後半期の津軽の漆工芸は、『塗物伝書』や『塗物秘伝書』(弘図岩)から多彩なものであったことがわかる / 江戸後期の漆工芸
通史編3(近世2) (弘前藩津軽家所蔵の美術工芸品)

弘前藩津軽家所蔵の美術工芸品 弘前藩津軽家が所蔵した美術工芸品については比較的記録が残っていて、その,の作例で重要な記録のひとつは、御擬作(みあてがい)として弘前藩の庇護を受けた江戸時代中もっとも優れた工芸家 / 弘前藩津軽家所蔵の美術工芸品
資料編1(考古編) ((2)県内遺跡の出土工芸品)

(2)県内遺跡の出土工芸品 本県でも、縄文時代前期中葉の円筒下層a並びにb式土器期に、鳥浜貝塚と同様 / (2)県内遺跡の出土工芸品
通史編5(近・現代2) (弘前工業高校の変遷)

歴史を刻むもののようで、新制高校発足当初、五科からスタートした弘前工業高校の科の編制は、三十八年に木材工芸科,が「工芸科」に改められ、四十年には建築科、工芸科、電気科で男女共学となって、初めて一九人の女子生徒の入学,を見たほか、四十一年には「電子科」を新設、四十八年に工芸科を「インテリア科」に改称、四十九年「情報技術科
通史編3(近世2) (概観)

概観 藩政時代の美術工芸については大きく三つの問題にまとめられよう。,藩主やお抱え絵師たちの画業と、藩が発注・下賜・贈与を通して城内および江戸の藩邸に所持していた公的な美術工芸品,直接かかわらない、ねぷた絵や凧絵、さらに陶芸や玩具、祭礼の装飾や衣装、こぎんなど民間のさまざまな美術工芸,点については、青森県民藝協会や弘前市立博物館などが過去に行ったいくつかの展覧会以外に、特に弘前の美術工芸
通史編3(近世2) (津軽と「津軽塗」)

明治十年(一八七七)十二月、黒川真頼は、フランス万国博覧会にわが国の工芸品を出品することを目的に、工芸,の起源や興隆をまとめ『工芸志料』として出版した。
通史編5(近・現代2) (博物館の設置)

鉄筋コンクリート造一部二階建てで、館内施設は展示ホール、歴史・共用・美術工芸・特別展示室、美術ギャラリー,博物館は「知と美の調和」を基調に、津軽の歴史、美術工芸、その他の資料の収集、保管、展示を行い、広く一般
通史編5(近・現代2) (青森県工業試験場)

種麹製造払下、醤油、味噌、ソース、アミノ酸、調味品の試験研究酒造米の依頼精白を行ふ       三 工芸指導部,(イ)工芸の指導   漆器、木工、あけび蔓細工、木竹総合品、玩具土産品の試作、実地指導図案、調整、,一般工芸に関する質疑応答、講習、講話、審査、研究生並に練習生の養生 (ロ)工芸試作研究  指導部工場,に漆器、木工に関する設備を有し、一般工芸品の試作見本、製作研究を行ふ       四 窯業部 (イ
通史編3(近世2) (他領から技術を導入)

他領から技術を導入 近世、津軽における漆工芸は、藩主導の中で諸条件が整備されるとともに、領外から新技法,津軽地方の漆工芸をみるとき、刀剣や甲胄の漆工技術を離れて考えることはできない。  ,このように、近世初期の津軽の漆工芸は、秋田の鞘師、京都の塗師、江戸の具足師の移入によって興ったもので、
通史編5(近・現代2) (弘前工業高校の動向)

昭和二十年十二月、終戦によって不要となった航空機科が木材工芸科へ改組され、二十一年には工業化学科が新設,電気科が、商工学校が商業学校へ戻ったことで再び本校へ移管され、この時点での弘前工業学校は、建築科、木材工芸科,まず、木材工芸科一科でスタートし、その後電気科、機械科が増設されている。
通史編5(近・現代2) (土産品開発への模索)

合併前後の弘前市の土産物としては、鳩笛、下川原人形、目屋人形、弘前こけしなど、いわゆる伝統工芸品であった,いずれも地域の特徴の出た工芸品といえるが、伝統的な家内工業的生産体制をとっているため、需要に供給が追いつけない,そのため県観光工芸品研究会では市当局や金融機関への融資陳情を検討し、申請を行った。
通史編5(近・現代2) (国内外の博覧会)

これにより、ヨーロッパでの日本の美術工芸への関心を一気に高め、その後の日本への評価を固めることになった,以下、明治期に開催された万国博覧会の美術・工芸の出品を列挙すると、明治九年(一八七六)のフィラデルフィア,のざわじょよう)(慶応元-昭和一四 一八六五-一九三九)が日本画「夏山夕景」、木通蔓(あけびづる)細工などの工芸分野,このように万国博覧会への本県の参加状況は津軽塗や木通蔓細工等の工芸の分野がほとんどを占め、美術の分野では
通史編1(自然・原始) (漆)

大正末期から昭和初期に八戸市是川の中居遺跡で認められ、そのすばらしい品々の内容が高く評価されて、美術工芸
通史編5(近・現代2) (故郷(くに)を思う心)

産業組合運動の先駆者として有名な相馬貞一(ていいち)の三男として生まれ、柳宗悦(やなぎむねよし)の民衆的工芸論,もっとも、相馬の活動は民芸という美術工芸の分野で花開き、棟方志功を通じて世界につながり、一戸らの活動は
通史編5(近・現代2) (地場産業の諸相)

そこで、青森県工業試験場では、これら津軽塗の欠点を克服するため、郷土色豊かな漆工芸品の研究開発に取り組,販売店が設けられ、国内はもとより、アメリカ、スウェーデン、デンマークと海外からも注文がくるなど新たな漆工芸品
通史編5(近・現代2) (弘前城の史跡指定)

建築物や工芸品や文芸作品、民俗文化財など、いずれも極めて個人的な産物であることが多い。
通史編5(近・現代2) (東京美術学校と弘前の作家たち)

それにこたえて、明治二十一年(一八八八)、東京美術学校(東京芸術大学の前身)が設置され、日本画、木彫、伝統工芸
通史編3(近世2) (塗師の知恵が支えた漆芸)

本家にて青海塗をよくす」と書かれるまでに発達したもので、唐塗や青海波塗などの技法は津軽における漆工芸の
資料編3(近世編2) (【解説】)

(解説・小島康敬)  第三項では、工芸分野のなかでも弘前市や津軽地方とゆかりの深い「津軽塗」に関する,またこのように三項に分けたのは、純粋に工芸技術的な側面に拘泥するのではなく、津軽塗が近世社会にあってどのように,発展を遂げてきたのか、いかなる技術集団がこれらの工芸品を製作し、それらが社会的にいかに活用されたのかなど,津軽塗に関しては、弘前市立博物館から刊行された『津軽の伝統工芸 津軽塗』(一九八一年)をはじめとして多
通史編5(近・現代2) (昭和の美術団体)

昭和四十四年(一九六九)には、黒滝大休らが日本画、洋画、彫塑、書道、工芸、写真、デザインの七部門からなる
通史編5(近・現代2) (用の美と津軽民芸)

晩年、山道町のつがる工芸店で「柳宗悦を学ぶ会」を続けたが、その研究ノートに「衣珠ノート」と名づけた。
通史編5(近・現代2) (県立工業から弘前工業へ)

本科(建築科・機械科・木材工芸科・土木科)四〇〇人のほかに、選科若千名を収容していた。,、上級生は三沢航空廠(しょう)分工場に建築科・土木科、大湊航空廠には機械科・電気科、青森造船所に木材工芸科
資料編1(考古編) ((3)多様な技法)

織布の出現が縄文時代晩期中葉にまでさかのぼることの確証と、漆工芸に見られるような高度の技術の存在は、亀
通史編3(近世2) (変わり塗と池田源兵衛)

延宝六年(一六七八)ころ、金沢藩の細工所で展開されていた漆工芸を知り得る貴重な資料に『百工比照(ひゃくこうひしょう
通史編4(近・現代1) (県立工業学校)

さらに翌年には学則が改められ、定員四〇〇人の本科(建築科、機械科、木材工芸科、土木科)と若干名の選科の
通史編2(近世1) (漆以外の国産品)

瀬戸物焼・紅粉・紙類・硯・紺屋灰・石灰・菜種・漆・銀鉛とあり、これらの品々のうちの多くが城下周辺で作られる工芸品
通史編2(近世1) (林政の展開と漆木の栽培)

一渡村(いちのわたりむら)(現一野渡)、乳井村(にゅういむら)(現乳井)が含まれている(『津軽の伝統工芸,金木新田・俵元新田・和徳・大光寺・猿賀組など岩木川・平川流域の水田地帯には栽培が少ない(前掲『津軽の伝統工芸,弘前市乳井) 3,050 館野越村(板柳町館野越) 4,100 計 54,700 注) 『津軽の伝統工芸
資料編3(近世編2) (はじめに)

さらに藩政時代の宗教・信仰、学芸、工芸、建築関係資料を本巻に掲載したが、近世編1ではこれらの分野について
通史編5(近・現代2) (戦後美術界の復興)

財団となった日展は日本画、洋画、彫塑、工芸、書の各分野を包括する我が国最大の美術団体として、現在も大規模
通史編1(自然・原始) (大正時代)

された史前学会のグループが、杉山寿栄男(すぎやますえお)(一八八四~一九四六、デザイン研究家、特に原始工芸
資料編2(近世編1) (【解説】)

漆はまた、塗物の原料として重要であり、平行して漆工芸も奨励していった。
通史編3(近世2) (信寿・信著・信寧時代)

破笠は芭蕉門の俳人、画師で工芸家として知られており、享保八年に細工人として三〇両五人扶持、御近習なみの
資料編3(近世編2) (二 町人の住居)

○石場家住宅  亀甲町--重要文化財  この家は、代々清兵衛を名乗り、藩内の工芸品や荒物を扱う町屋であった
通史編4(近・現代1) (菊池楯衛とりんご植栽)

また、工芸作物も試み、サトウモロコシの栽培により製糖も行ったが、成功するまでにはならなかった。
資料編1(考古編) (新編 弘前市史 資料編1-1 考古編 目次)

         (3)植物食 ………………………………………  133         6.縄文時代の工芸, …………………………………  135          (1)工芸の種類 …………………………………, 137          (2)県内遺跡の出土工芸品 ……………………  137          
通史編5(近・現代2) (工業振興政策)

22 26 (株)オオトリテクニカ 2.7 5.4 精密金型部品 22 42 27 (有)功亜貴金属工芸
通史編3(近世2) (新編 弘前市史 通史編3(近世2) 目次)

 623     三 武芸―剣術・馬術・槍術・弓術・炮術― ……………  630     四 美術・工芸
通史編2(近世1) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

22 『目で見る津軽の歴史』76頁 昭和55年 弘前市立博物館刊 表23 作成 表24 『津軽の伝統工芸
資料編1(考古編) (〈注一覧…第2章〉)

*106 *94に前掲 *107 音喜多富寿 「県重宝・二ッ森遺跡出土品」(図録青森の文化財 美術工芸品
資料編3(近世編2) (新編 弘前市史 資料編3 近世編2 目次)

   (三)復政談 …………………………………………………………………………………  九五六   三 工芸
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