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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (工藤氏の出自)

工藤氏の出自 ただ糠部側は、比較的史料が希薄である。,また近年では、工藤氏が下野の小山、相模の三浦氏などと同様に五位の地方軍事貴族(藤原南家流)の後裔であることも / 工藤氏の出自
通史編1(古代・中世) (工藤氏の活躍)

工藤氏の活躍 そうしたなかで、工藤貞行の後醍醐方としての活躍は目覚ましい。 / 工藤氏の活躍
通史編1(古代・中世) (得宗被官の入部)

得宗被官の入部 さてこうした経緯のなかで、曽我氏や安藤氏・工藤氏・横溝氏、その他の得宗北条氏の被官(
通史編1(古代・中世) (一族の分裂)

それによれば曽我氏も工藤氏・小川(河)氏も、いずれも一族分裂して戦ったさまがうかがわれ、降人にも預人にも
通史編1(古代・中世) (討幕の論功行賞)

写真136 陸奥国宣  なお工藤氏も、鎌倉幕府滅亡に際しては、幕府方と後醍醐方とに分裂したが、多
資料編1(古代・中世編) (はじめに)

乳井の板碑における福王寺毘沙門堂、国吉における工藤氏の存在、中別所から高杉方面に残存する板碑は「高椙(
通史編1(古代・中世) (曽我貞光の奮戦)

同年三月には北条一族と称するものを筆頭に、南部氏や成田氏・工藤氏らの南朝方が大挙して曽我氏本拠の大光寺外楯
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●正保二年(一六四五)九月十九日、盛岡藩、津軽牢人工藤氏の南部領入国を認める。
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