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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(市制施行と小学校)
市制施行
と小学校 二十二年(一八八九)四月、弘前は
市制施行
により弘前市となり、これまでの中津軽郡の管轄,
市制施行
の二十二年「弘前市第一回事務報告」によると、この年の就学児童は高等・尋常合わせて男子二〇一八人,そのような変則的な教育行政が、
市制施行
の後も続くのである。 /
市制施行
と小学校
通史編5(近・現代2)
(市制施行百周年)
市制施行
百周年 平成二年(一九九〇)、弘前市は
市制施行
百周年を迎えた。 /
市制施行
百周年
通史編4(近・現代1)
(市制施行直前の商業)
市制施行
直前の商業 明治二十年代に入ると日本経済は松方財政下のデフレーションの影響を脱し、景気が拡大,
市制施行
はこの時期に行われたのである。まず、
市制施行
直前の弘前市経済を見ていこう。 ,ここで、
市制施行
の前年である明治二十一年(一八八八)の統計数値を見ておきたい。 /
市制施行
直前の商業
通史編4(近・現代1)
(町村合併と弘前市制施行)
町村合併と弘前
市制施行
青森県は、明治二十二年二月二十日県令第一四号をもって各町村の分合改称を行い、,三万五千以内ト雖モ商業繁栄将来ニ望ミアルモノハ特ニ市制ヲ行フコトヲ許ス」に当たるとして、内務大臣松方正義が
市制施行
地 / 町村合併と弘前
市制施行
通史編4(近・現代1)
(市制施行直前の工業)
市制施行
直前の工業 明治二十一年の青森県内における郡別の工業生産高は表36(三三二-三三三頁)のとおりである /
市制施行
直前の工業
通史編4(近・現代1)
(明治時代の市史編纂)
ニシテ 第四章ヨリ第二十七章ニ至ル大部分ハ概ネ未完成ニシテ信頼スルニ足ルベキ材料ハ寥々タリ 第三篇(
市制施行
前,)第一章ハ材料完成シアルモ、第二章「議事機関」ハ未完成ナリ 第四編(
市制施行
後)第一章ヨリ第六章ニ亘
通史編5(近・現代2)
(建築近代化への立ち後れ)
明治初年(一八六八~)から
市制施行
までの二〇年間に人口は約八〇〇〇人も減り、産業も酒造業以外見るべきものがなく,しかし、明治二十二年(一八八九)の
市制施行
に引き続き、明治二十七年(一八九四)の弘前-青森間の鉄道開通
通史編4(近・現代1)
(弘前商業会の活動)
弘前商業会の活動
市制施行
後の明治二十五年(一八九二)に弘前商業会が結成された。
通史編4(近・現代1)
(市長の弁明)
弘前市史は、結局、昭和三十三年藤森睿市長時代、
市制施行
七十周年記念事業として企画、昭和三十七年に上・下二巻
通史編5(近・現代2)
(新図書館の建設)
新図書館の建設 現市立図書館は弘前
市制施行
百周年記念施設として、下白銀町二番地一(追手門広場内)に設置
通史編5(近・現代2)
(戦後復興期の財政)
二十六年の監査報告では、本市は明治二十二年、県下で最初に
市制施行
したが、昭和二十六年における人口は六万五五九七人,(国勢調査数)で、後に
市制施行
した青森市の一〇万六四一七人、八戸市の一〇万四三三五人に遠く及ばなくなった
資料編1(考古編)
(監修のことば-発刊に当たって-)
末尾で、引き続き史料篇の刊行を企図されるよう市当局に対して希望し、「それも腰を据えた事業として、完成は
市制施行
通史編1(自然・原始)
(刊行によせて)
刊行によせて 弘前市長 金澤隆 「新編弘前市史」編纂事業は、平成元年に
市制施行
一
通史編5(近・現代2)
(福士市政の財政)
それは弘前駅舎新築と駅周辺再開発、水害対策、清掃・下水道事業、観光と文化財の保護、高齢化社会への対応、
市制施行
百周年記念事業,⑥
市制施行
百周年記念事業 平成元年は、弘前市にとって
市制施行
百周年にあたるため、前年の六十三年度から
通史編5(近・現代2)
(完結に寄せて)
完結に寄せて 弘前市長 金 澤 隆 『新編弘前市史』編纂事業は、
市制施行
百周年を記念して、平成元年
通史編5(近・現代2)
(戦後の佐藤正三)
市民課長時代に『広報ひろさき』は県一位となり、また、
市制施行
七十周年の記念事業として『弘前市史』編纂事業
通史編5(近・現代2)
(第四次弘前市総合開発計画の策定)
本市の大きな節目となる
市制施行
一〇〇周年の記念すべき年に元号が昭和から平成に変わった。
年表・索引編
([弘前市の人口の推移])
(1887) 31,807人 21年(1888) 22年(1889) 31,375人
市制施行
,175,771人 63年(1988) 175,758人 平成元年(1989) 175,440人
市制施行
百周年
通史編3(近世2)
(三 八幡宮の祭礼と山車の運行)
この後、山車の運行は絶えていたが、明治三十九年の藩祖三百年祭、昭和二十四年(一九四九)の
市制施行
六〇周年,、同三十一年の藩祖三百五十年祭、同五十四年の
市制施行
九〇周年、平成元年(一九八九)の市制一〇〇周年には
通史編4(近・現代1)
([付図])
〈官報〉〈明治21年〉 11 陸羯南 新聞『日本』創刊〈明治22年〉 12 弘前
市制施行
通史編5(近・現代2)
(藤森市政の財政)
四十三年度には
市制施行
八十周年の記念事業として久渡寺一帯に「子供の森」というレクリエーションの場が三ヵ,工事は三十三年に着工され、翌三十四年の
市制施行
七十周年に落成した。
通史編4(近・現代1)
(東奥共同会の設立)
;8 後藤象二郎来弘 22 (1889) 2 帝国憲法発布 4 弘前
市制施行
通史編5(近・現代2)
(掲載写真の典拠・所蔵一覧)
さらに『弘前市教育史』(弘前市教育委員会、上巻1970年 下巻1979年)編纂にあたって収集したもの、
市制施行
通史編4(近・現代1)
(市制の施行)
市制の施行 明治二十二年(一八八九)四月一日、県令第一五号によって中津軽郡弘前町は
市制施行
となった。
通史編4(近・現代1)
(新編 弘前市史 通史編4(近・現代1) 目次)
………… 282 四 日露戦争と「国宝師団」 …………………………………… 294 第三節
市制施行
後,………… 304 二 都市財政の展開 ……………………………………………… 308 三
市制施行
前後
通史編5(近・現代2)
(新編 弘前市史 通史編5(近・現代2) 目次)
………… 767 四 観光事業の開発と保存 ……………………………………… 773 五
市制施行
百周年, 第二章 明治後期の弘前 第一節 弘前市の誕生 第二節 第八師団の設置 第三節
市制施行
後
通史編4(近・現代1)
(津軽産業会の活動)
明治二十二年(一八八九)
市制施行
に当たり、旧来の郡は財産を処分したが、一郡連合会は津軽産業会に補助金を
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