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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(歩兵第三一連隊移転問題)
だが
師団司令部
管下には歩兵二個連隊を附属する必要があるとの原則論があった。,第八師団管下には青森市に五連隊、弘前市に三一連隊と、二つの連隊があったが、
師団司令部
の地元弘前市には、,結局、弘前市には
師団司令部
がありながら、連隊は三一連隊だけしかなかったのである。,その三一連隊を盛岡に移転させられることは、
師団司令部
のある弘前市に連隊が存在しないことを意味した。
通史編4(近・現代1)
(道路改修問題と佐和知事)
、弘前市元寺町、同親方町、同松森町、堀越村、石川村、大鰐村、蔵館村、碇ケ関村 秋田県界 兵営道 第八
師団司令部
,弘前市土手町 山道町、住吉町、清水村富田 第八
師団司令部
歩兵第三十一聯隊兵営 弘前市親方町 本町、,新寺町 歩兵営 輜重兵第八大隊兵営 弘前市新寺町 清水村富田樹木派立 輜重営 騎兵第八聯隊兵営 第八
師団司令部
通史編4(近・現代1)
(師団誘致運動)
写真77 第8
師団司令部
師団誘致合戦は、互いに自らの地域の特徴や利点をアピールし、関連当局に,そしてかねてからの予定どおり、弘前市近郊に
師団司令部
を設置し、付近に兵営や各軍事施設を建設していった。,ここに軍都弘前市は成立を見たのである(ただし、
師団司令部
自体は、このとき中津軽郡清水村(現弘前市)にあった
通史編4(近・現代1)
(第八師団のシベリア派遣)
第八師団が青森に上陸したのは十月十四日であり、二十八日には
師団司令部
も弘前に帰還した。,弘前駅には凱旋門が設けられ、
師団司令部
前には市当局をはじめ、市民が数多く動員されて帰還部隊を迎えた。
通史編5(近・現代2)
(市域の整備と町村合併)
この合併の最大の特徴は、第八
師団司令部
と歩兵第五二連隊、弘前高等学校(現弘前大学文京キャンパス)が、合併,弘前市は軍都弘前として名をはせたが、実際に第八
師団司令部
が市域に編入されたのは、意外にも昭和期に入ってからなのである
通史編4(近・現代1)
([口絵])
口絵21 川口染工場の染色場 †第八師団創設† 口絵22 陸軍第八師団の開設を祝う住民(
師団司令部
前,のデパートメントストア「角は宮川」 †大正4年陸軍大演習† 口絵54 大本営が設置された
師団司令部
通史編4(近・現代1)
(特別大演習と天皇の弘前行幸)
大演習御統覧のために大正天皇は十九日に弘前に行幸、二十五日まで第八
師団司令部
に滞在された。
通史編4(近・現代1)
(歩兵第三一連隊の移転問題)
師団司令部
のある地元弘前市周辺に連隊がなくなる事態だけは、陸軍省も避けたのである。
通史編5(近・現代2)
(宗教団体法の成立)
全市内中等学校生徒の見ている前で神社参拝の礼式と玉串奉奠(たまぐしほうてん)を強要され、知らないと言ったら、
師団司令部
通史編4(近・現代1)
(大正期観桜会あれこれ)
屋形船は、
師団司令部
が軍紀の乱れることを恐れ、また、主催者側も風紀が乱れると判断したため、大正末期には
通史編5(近・現代2)
(大火と上水道設備の向上)
市の消防隊が鎮火に努めたが間に合わず、急を知った第八
師団司令部
は歩兵第三一連隊をはじめ、弘前市在住の部隊全員
通史編5(近・現代2)
(弘前市にとっての第八師団)
師団司令部
が置かれ、師団長を地元に迎える弘前市民にとって、軍隊との関係は他地域よりも密接であったろうし
通史編4(近・現代1)
(ロシア戦への意識と第八師団の設置)
弘前市には
師団司令部
と歩兵連隊二つからなる第四旅団が置かれた。
通史編4(近・現代1)
([付図])
青森県尋常中学校校舎落成〈明治27年〉 18 奥羽本線~青森―弘前間開通〈明治27年〉 19 第八
師団司令部
通史編5(近・現代2)
(弘前大学後援会と農学部の新設)
しかし農学部の校舎は旧
師団司令部
をはじめ、軍都弘前時代の軍事施設をそのまま使用したものであり、農場も建物
通史編4(近・現代1)
(盗伐問題と師団の設置)
富田から小栗山に通ずる道路沿いに、
師団司令部
(現弘前大学農学生命科学部)、旅団司令部(同)、憲兵隊(同
通史編5(近・現代2)
(日中戦争の勃発への着手)
そのなかに弘前
師団司令部
が弘前陸軍病院からの申し出を受けて、勤労奉仕を要請している文書がある。
通史編5(近・現代2)
(棟梁・堀江佐吉)
写真293 東奥義塾校舎(明治23年) この後、旧弘前市役所〔明治二十五年〔一八九二〕)、第八
師団司令部
年表・索引編
([弘前市の人口の推移])
30,819人 29年(1896) 30,866人 30年(1897) 31,510人 第八
師団司令部
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