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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(常福寺)
常福寺
信枚は天海より法号津梁(しんりょう)院殿権大僧都寛海(ごんだいそうずかんかい)を授与された。,
常福寺
本祐とも師弟関係にあったため、寛永元年(一六二四)、東照宮の別当薬王院の開基・第一世に本祐を推し,、天台宗の
常福寺
(現東京都台東区)を兼務させた。,信枚が江戸で死去すると、本祐が導師となって
常福寺
へ葬られたが、後に信政の時に津梁院へ改葬された。,図206.
常福寺
/
常福寺
通史編3(近世2)
(津梁院)
津梁院
常福寺
本祐は、藩の所有する上野の菜園に隠居所を建て、信枚の法号により津梁院(天台宗、現東京都台東区,信政は天和元年(一六八一)に信枚の五輪塔と遺骨を
常福寺
から改葬した(篠村正雄「浅草
常福寺
口上書と御屋舗江
常福寺
御由緒略覚
通史編3(近世2)
(薬王院)
本祐は江戸
常福寺
と兼帯し、信枚へは兵法三ヵ条を伝授した(資料近世1No.四三〇)。 ,報恩寺信枚が天海に帰依したことから、藩主家は江戸の菩提寺を天台宗津梁院・
常福寺
としてきた。,信義の遺骨を江戸より国元へ持参した本好を第一世に推したが、本好は薬王院の開基本祐の弟子で
常福寺
住職であった
通史編3(近世2)
(東照宮)
信枚の正室満天姫が徳川家康の養女であったことから、寛永元年(一六二四)、天守閣の近くに建立され、江戸
常福寺
本祐
通史編3(近世2)
(信枚)
の血脈を授けられ、天海の一字を得て津梁院殿寛海(しんりょういんでんかんかい)と称し、天海の弟子本祐の
常福寺
通史編3(近世2)
(報恩寺)
報恩寺 天海に帰依して天台宗に改宗した信枚は、寛永八年(一六三一)に江戸で死去すると
常福寺
に葬られ、
通史編3(近世2)
(協力機関および協力者一覧(機関・個人順、五十音順))
国文学研究資料館史料館 国立公文書館 国立国会図書館 護穀神社(青森県弘前市) 最勝院(青森県弘前市)
常福寺
通史編3(近世2)
((一)藩主家の菩提寺)
図204.革秀寺津軽為信霊屋 信枚は天海僧正に帰依し、江戸では天台宗
常福寺
を菩提寺として埋葬されたが
通史編3(近世2)
(二代信枚)
このことから、信枚は
常福寺
(じょうふくじ)(現東京都台東区)本祐と結びつき、東照宮の別当東照院(とうしょういん
通史編3(近世2)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
中津軽郡岩木町 高照神社蔵 204 弘前市 革秀寺 205 弘前市 長勝寺 206 東京都台東区
常福寺
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