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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (明教寺)

『新撰陸奥国誌』によると、玄龍は常陸国(現茨城県)鹿島郡高松の出身で、寛永二年(一六二五)、賀田村(現中津軽郡岩木町
通史編1(古代・中世) (藤崎系図)

しかし『秋田家系図』は実季苦心の作にして秘蔵のものとされていたにもかかわらず、それを一介の常陸国住人藤崎氏,一二世紀中ごろ)に、津軽より多数の兵を率いて常陸国へ移住し、以後は常陸の白鳥氏の系図となっていく。
通史編1(古代・中世) (「津軽」の地の独自性)

「土蜘蛛」ならば、『日本書紀』や『常陸国風土記』などにもみえる、全国各地の「まつろわぬ民」をあらわす普遍的
通史編1(古代・中世) (阿津賀志山の合戦)

写真98 『扶桑見聞誌記』 石那坂の堀  そこを攻める鎌倉方の先鋒は、常陸国伊佐荘中村の住人、
通史編2(近世1) (初代為信の動向)

藩境を接する秋田実季は常陸国宍戸(ししど)(現茨城県西茨城郡友部町)へ転封され、代わりに常陸国水戸(現茨城県水戸市
通史編1(古代・中世) (嘉元鐘銘文に登場する鎌倉武士)

この道曉なる人物は、常陸国行方郡の長勝寺の元徳二年銘の鏡の施主でもある。
通史編1(古代・中世) (北奥における建郡)

新郡の名前を見てみると、たとえば津軽平鹿郡は出羽国平鹿郡と、津軽鼻和郡は鹿角の花輪と、久慈郡は常陸国久慈郡
通史編1(古代・中世) (比羅夫は何回遠征したか)

阿倍比羅夫による、日本海側からの征討だけではなかったことは、同じころ、多くの蝦夷が都に来朝していること、『常陸国風土記
資料編1(古代・中世編) ([八世紀])

●養老七年(七二三)二月十三日、常陸国那賀郡大領、私穀を陸奥鎮所に献上。
通史編1(古代・中世) (一 古代における北奥の宗教世界)

そして今ひとつ看過してならないのは、正嘉(しょうか)元年(一二五七)に勧進聖住信が常陸国で編んだ『私聚百因縁集
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

……………………………… 続日本紀 17 ●養老七年(七二三)二月十三日、常陸国那賀郡大領、私穀を陸奥鎮所
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