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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(まえがき)
本巻は、第一章「統一政権と北奥の動向」から第四章「
幕藩体制
の動揺と民衆」に至る、四章仕立てで構成した。,すなわち
幕藩体制
の成立から動揺・崩壊期に至る期間を対象としており、津軽領における政治・経済・社会の包括的
通史編3(近世2)
(藩治職制への対応)
元来、
幕藩体制
下では諸大名は個別に領地の領有権を保証されていたから、
幕藩体制
の枠外に出ない限り比較的柔軟
資料編3(近世編2)
(はじめに)
収載内容は、第六章、
幕藩体制
の動揺と民衆、第七章、藩政期の人々の生活と文化、第八章、藩政期の宗教と信仰,本市史の近世に関する資料編は、二巻をもって構成することが決定しており、したがって本巻は、
幕藩体制
後期から,具体的には、
幕藩体制
後期の政治情勢に対する、民衆のさまざまな対応や、一揆・打ちこわしをはじめとする抵抗
通史編2(近世1)
(近世最後の大飢饉)
であったが、天保八年(一八三七)に起こった大塩平八郎の乱をはじめ、全国的に一揆・打ちこわしを誘発し、
幕藩体制
通史編2(近世1)
(一 海防問題の発生と蝦夷地出兵)
(なお、本項は菊池勇夫『
幕藩体制
と蝦夷地』一九八四年 雄山閣出版刊、同『北方史のなかの近世日本』一九九一年
通史編3(近世2)
(近世漆工芸の発展)
近世漆工芸の発展 慶長八年(一六〇三)、徳川家康は江戸に幕府を開き、
幕藩体制
をつくり上げた。
通史編3(近世2)
(維新期の弘前藩)
幕藩体制
の崩壊を決定的なものとし、日本が近代国家への道を歩みはじめるその一大変革がなされたのが明治維新
通史編2(近世1)
(津軽領の知行制)
これは中世以来の有力家臣・一族が領内に割拠し、領主権力の相対的自立性が弱いまま
幕藩体制
を迎えたという理由
通史編2(近世1)
(三 鷹献上と鷹保護)
また放鷹(ほうよう)は、鷹献上とともに武家社会における伝統的な慣習であったが、
幕藩体制
成立期における放鷹制度
通史編2(近世1)
(幕末期の蝦夷地交易)
津軽弘前藩側が米の安定供給に自信を持てなかったため実現しなかったが、江戸・大坂廻米を最優先させねばならなかった
幕藩体制
下
通史編2(近世1)
(騒動のその後)
三都を中心とした
幕藩体制
下における経済構造は、生産地(地方)と消費地(三都)の立場を容易に逆転させる側面
通史編2(近世1)
(寛文蝦夷蜂起の経過)
泰広は蜂起鎮圧の軍事指揮権を掌握し、自ら蜂起の現地に出立している(菊池勇夫『
幕藩体制
と蝦夷地』一九八四年
通史編3(近世2)
(塵芥捨て場としての南溜池)
幕藩体制
の変質期に入って、都市人口の増加、特に町方の増加は都市の発展を招来するものであった。
通史編3(近世2)
(キリシタン改め)
このキリシタン禁制政策を全国規模で強行したことは、
幕藩体制
の維持・強化策の一環をなすものであり、承応三年
通史編2(近世1)
(信寿の高増運動)
これら三点の史料の目的は、高増の実現のため、
幕藩体制
のなかに当藩の積極的な位置づけを図るとともに、高増
通史編2(近世1)
(新編弘前市史 通史編2(近世1) 目次)
……… 92 三 北奥羽における領主支配 …………………………………… 104 第二章
幕藩体制
,…… 210 二 陸上交通網の整備と岩木川舟運 …………………………… 218 第三章
幕藩体制
,…… 381 二 商品流通の発展と城下の変容 ……………………………… 389 第四章
幕藩体制
通史編2(近世1)
(関ヶ原の戦いと奥羽の情勢)
関ヶ原の戦いは、その矛盾による確執が行き着いたところで発生したものであり、その決着を踏まえて、以後の
幕藩体制
社会,が形成されていったのである(笠谷和比古『関ヶ原合戦―家康の戦略と
幕藩体制
―』一九九四年 講談社刊)。
資料編2(近世編1)
(はじめに)
本市史の近世に関する資料編は、二巻をもって構成することが決定しており、したがって本編は、近世初期から
幕藩体制
資料編2(近世編1)
(【解説】)
また
幕藩体制
全体の政治状況も、武断(ぶだん)政治から文治(ぶんち)政治への移行期にあたり、津軽領を取り,右の二つの事由から、編年体の最終条を設定したのであって、これは津軽領内のみならず
幕藩体制
全体の政治の動向
資料編3(近世編2)
(【解説】)
この時期は
幕藩体制
に動揺が生じ、次の時代に連なる諸要素が形成され始めた時期である。,そしてこれらの状況は、幕府や諸藩に種々の改革を必然化させながら、
幕藩体制
の解体と幕末維新の変革に直接影響,、これらはいずれも密接に関連しているのであり、社会全体に生じた時代の大きな変化を、本章の表題である「
幕藩体制
,いられた、いわゆる黒船の来航によって、国家全体が大きな衝撃を受け、以後、開国に向けて大きなうねりが始まり、
幕藩体制
,これら各地の有力商人達は縁戚関係を結んでいたようで、
幕藩体制
後期における領内有力商人の情報ネットワーク
通史編4(近・現代1)
(ジョン・イングの貢献)
もともと
幕藩体制
時の日本には「演説」という言葉や概念がなく、明治以降に福沢諭吉によって始められたとされる
通史編2(近世1)
(「津軽一統志」の編纂)
夷狄(いてき)に振」った人物としてとらえられているのは、蝦夷地への派兵を信政の威風としてとらえ、藩が
幕藩体制
下
通史編2(近世1)
(「松前復領期」における蝦夷地派兵準備体制)
「松前復領期」における蝦夷地派兵準備体制 後期
幕藩体制
下における蝦夷地支配において、幕領前期と後期の
通史編2(近世1)
(公家との関係)
確かに、
幕藩体制
下における朝廷・公家の姿にそうした側面があることも事実である。,恐らくこの前後から
幕藩体制
下における両家の交流は継続してきたと考えられる。
通史編3(近世2)
(政争の激化と第三次改革)
実はこの認識こそ
幕藩体制
から朝藩体制への転換を示しており、藩知事でさえ非世襲の一官職として位置づけられたことを
通史編2(近世1)
(飢饉に至るまでの経緯)
でみたとおり、近世の飢饉は単なる自然災害ではなく、凶作下でも江戸や上方への廻米を強行せざるをえない、
幕藩体制
下
資料編2(近世編1)
(【解説】)
寛文九年(一六六九)に蝦夷地で勃発した、シャクシャインに率いられたアイヌ民族の蜂起は、
幕藩体制
に深刻な
通史編2(近世1)
(糧米確保)
供給の保証をすることになっていたにもかかわらず、実際には飢饉という状況下においてそれがかなわず、そこに
幕藩体制
下
通史編2(近世1)
(太閤蔵入地の設定)
そして、ここに
幕藩体制
下における津軽氏の本高四万五〇〇〇石が確定したのである。
資料編3(近世編2)
(新編 弘前市史 資料編3 近世編2 目次)
例言 ………………………………………………………………………………………… 4 第六章
幕藩体制
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