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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (平泉藤原氏)

平泉藤原氏 こうした清原氏同士のつぶしあいの末に生き残ったのは結局清衡のみであった。,の娘を母にもつこの清衡ただ一人が二大豪族の継承者として残ったことが、鎮守府の実質的な軍政権を継承し、平泉藤原氏,としてこの清原(のちに藤原)清衡が、清原氏の遺領陸奥出羽両国「一万余之村」を継承し、以後、黄金かがやく平泉藤原氏時代 / 平泉藤原氏
通史編1(古代・中世) (奥州惣奉行葛西清重)

いずれにしろ清重は、平泉藤原氏に代わる頼朝の現地代官として、陸奥国内御家人の統制と平泉郡内の治安維持といった,平泉藤原氏の職権を継承する、諸国の守護に匹敵する重職に任じられた。,平泉藤原氏を継ぐ者として、まさに政治・経済の枢要の地を獲得したといえよう。
通史編1(古代・中世) (津軽氏の系譜と唐糸御前)

写真109)などには、先に触れた「唐糸草子」の所伝が取り込まれ、それが強引に北条時頼とつなげられて、平泉藤原氏
通史編1(古代・中世) (北奥における建郡)

もちろん一方で、こうした急激な建郡ではなく、Ⅲ平泉藤原氏の支配下で一二世紀に入ってから徐々に建郡されたという,基頼の指揮のもと、平泉藤原氏・越後城氏・常陸佐竹氏のような新興領主層が育成され、その時代に、まったく新,また北奥諸郡が陸奥国所管となっていることも、郡郷編成が摂関家出身の陸奥守兼鎮守府将軍の下で平泉藤原氏によって,たとえば、平泉藤原氏の時代になると、擦文土器や内耳鍋が姿を消し、美濃・常滑・瀬戸・猿投(さなげ)といった,こうした事実は、まさに平泉藤原氏の時代の建郡の傍証になるとも考えられている。
通史編1(古代・中世) (蝦夷か蝦夷の支配者か)

また安倍氏自身が、(平泉藤原氏のように自称したかどうかは別として)蝦夷の末裔(まつえい)と考えられていたとしたら,もちろん安藤氏の蝦夷系譜づけが、こうした政策的措置である以上、平泉藤原氏の場合と同様、厳密に人種的系譜
通史編1(古代・中世) (津軽惣地頭宇佐美実政)

津軽惣地頭宇佐美実政 こうして平泉藤原氏の滅亡後の体制整備が進むなか、本州の最北辺にして海運上の要衝
資料編1(考古編) (1.12世紀の様相)

この時期は、安倍・清原氏と平泉藤原氏(間接的には京都の影響)の影響とともに、北陸地方からの影響も見逃すことはできない
通史編1(古代・中世) (鎮守府将軍秀衡)

軍事政権樹立を目指す源頼朝にとって、東北地方への勢力拡大は重大事であり、その最大の障害は、いうまでもなく平泉藤原氏
通史編1(古代・中世) (奥大道と文物の流通)

さて平泉藤原氏は、奥大道や北上川水運などを整備することによって、北方世界からの物産の調達、南からの文物,平泉藤原氏はこうした北方世界につながるネットワークを通じて、糠部産の馬や金、そして鷲羽・水豹(あざらし
資料編1(考古編) ((4)12世紀代)

中でも、弘前市中崎館遺跡は、平泉藤原氏の政庁跡とされる柳之御所跡との関係が極めて強く認められる点で注目
通史編1(古代・中世) (エゾ=アイヌ)

そして郡郷制に編成されたかつての蝦夷の地域の統治の実権を、平泉藤原氏による新政権に委ねたのである。
通史編1(古代・中世) (奥州合戦の勃発)

東国に軍事政権を確立しようとしている頼朝にとっては、その最大の邪魔者の平泉藤原氏を除くのは、幕府成立の
通史編1(古代・中世) (延久蝦夷合戦と津軽)

のごとく延久合戦後の僧侶の移住、再興(事実上の創建)、住民を指揮しての開発といった伝説をもち、さらに平泉藤原氏時代
通史編2(近世1) (「津軽一統志」以降の修史事業)

すれば、奥州藤原氏と安倍氏との血縁関係が存在する以上、安日に行き着くことは当然で、結局津軽家は、最後まで平泉藤原氏
通史編1(古代・中世) (泰衡の死)

ここに奥州合戦は終り、平泉藤原氏は滅亡したのである。
通史編1(古代・中世) (安藤氏の所領)

安藤氏の所領 すでに詳しく見たように、平泉藤原氏が滅亡すると、奥羽両国は鎌倉幕府の支配下に入り、頼朝
通史編1(古代・中世) (阿津賀志山の防塁)

阿津賀志山の防塁 これに対して平泉藤原氏側は、奥大道の交通の要衝、陸奥国伊達郡阿津賀志山(あつかしやま
通史編1(古代・中世) (阿倍比羅夫の登場)

写真27『大日本国地震之図』  のちに詳しく触れるように、平泉藤原氏の時代のころに、津軽地方は陸路
資料編1(考古編) ((4)漆器・木器生産)

なお、輪高台を持つ漆器は、12世紀代の奥州平泉藤原氏関連の柳之御所跡をはじめとして数多く出土しており、
通史編1(古代・中世) (一 古代における北奥の宗教世界)

また、安倍氏と同様に「東夷之遠酋」あるいは「俘囚之上頭」というごとく、夷社会の統轄者を自称する平泉藤原氏造営,しかも、ともに天台宗を基調とする津軽安藤氏の山王坊と平泉藤原氏の中尊寺の建造物には、建築学的に一定のかかわりも,円仁(慈覚(じかく)大師)の高弟安恵の開創とも伝えられる出羽山寺もまた、紛れもない天台宗寺院であり、平泉藤原氏
資料編1(考古編) (4.中崎館遺跡)

また、この土器は、12世紀に栄えた奥州平泉藤原氏の後半期の政庁跡とされる柳之御所跡にいても多量に使用されている
通史編1(古代・中世) (三 北奥宗教界の中世的転回)

三 北奥宗教界の中世的転回 鎌倉前期の幕府は、奥州平定に絡(から)む源義経・平泉藤原氏一族の討滅に流
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