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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(岩木川舟運)
藩では
年貢米
を収納する米蔵を各地に置いた。,それらは在に置かれた小蔵と、各小蔵からの
年貢米
を収納する御蔵に分けられる。,これらの御蔵に集められた
年貢米
は、鰺ヶ沢へ集められ、換金のため大坂に送られた。,少し時代は下がるが、元禄四年(一六九一)に鰺ヶ沢に陸路で運ばれた
年貢米
が四万五〇〇〇俵余であったのに対,して、舟運による
年貢米
の輸送は六万一〇〇〇俵余に達しており、陸路を凌駕(りょうが)していたことが判明する
通史編2(近世1)
(新施策の実施と知行制度の転換)
知行制度を土地そのものを宛行(あてが)っていた地方知行制(じかたちぎょうせい)から、藩が一元的に取り立てた
年貢米
,一六九一~一七〇四)までに大部分の大名家(大名家数で八五パーセント、知行石高で五五パーセント)が藩庫から
年貢米
通史編2(近世1)
((三)民衆負担の増大と一揆)
(三)民衆負担の増大と一揆 津軽弘前藩の財政構造は、米方の収入源は
年貢米
徴収を基盤とし、金方の収入はその
通史編2(近世1)
(豊臣政権の奉行衆)
に属する財務に秀でた奉行や家臣らを北国海運の拠点に据え、その海運によってもたらされる太閤蔵入地からの
年貢米
,実際、秋田領に設定された太閤蔵入地の
年貢米
の算用状(さんようじょう)は、秋田氏から集権化を目指す奉行衆徳善院
通史編2(近世1)
(地方知行制の復活と借知制の実施)
給人は、自らの知行地からあがる
年貢米
を売却することで財政を維持したが、この
年貢米
の売却に際しても藩が規制
通史編2(近世1)
(恒常化する知行借り上げ)
蔵米制のもとでは藩士への
年貢米
の支給率はその時々の藩の財政状況で容易に変更されうるものとなった。
通史編2(近世1)
(騒動の背景)
す宝暦改革が失敗したあと、藩は再び家老森岡主膳、側用人大谷津七郎・山口彦兵衛らの主導のもと、上方への
年貢米
廻米,安永から天明期にかけては藩士には知行の強制的借り上げ、農民に対しては
年貢米
以外の余剰米を安値で強制的に
通史編2(近世1)
(貞享検地)
つまり、全国市場である大坂との結びつきは、それまで自領内・その地域経済圏に出ていた
年貢米
が、大坂へ廻米,したがって、藩経済を維持するうえでより多くの
年貢米
を大坂へ廻米せざるをえなかったのである。
通史編3(近世2)
(「概略手続」の発表と変更)
①分与地の面積は、その土地から得られる「作得米(さくとくまい)」(収穫高から
年貢米
を差し引いた分)が家禄,これによると、分与地に移住した士族・卒は
年貢米
を納めれば、残る部分は自分の自由となる。
通史編3(近世2)
(農兵の動員実態と要求)
時節柄、鰺ヶ沢等の藩の米蔵には
年貢米
が満杯になっており、これを奪取される心配は十分あった。
通史編2(近世1)
(幕末期の藩財政)
それによると、当時の同藩の平均的な収支は米方の収入が一三万七五九二石、そのうち
年貢米
が大半を占め、一三万五
通史編2(近世1)
(中期農政と農村構造の変化)
わりをして夫食を百姓に貸し出す利率を三割とし、その返済は百姓自身から取り立てる形をとらず、藩の蔵に納められた
年貢米
通史編2(近世1)
(宝暦―天明期の借財)
大名貸しは将来回送される蔵物を担保に行うものであるが、実際は凶作などにより
年貢米
の回送はしばしば滞り、
通史編2(近世1)
(文化~文政期の藩財政)
そのうち
年貢米
が一四万四四〇〇石で七三・八二パーセントを占め、
年貢米
に基盤を置く構造は基本的に変わりはない,家中からの買上が
年貢米
補填の手段として恒常化していた。
通史編2(近世1)
(浅利頼平の怪死)
この二通の覚書は、浅利氏が秋田氏へ納めた軍役や物成、太閤蔵入地からの
年貢米
や伏見作事板の運上の決算報告書
通史編4(近・現代1)
(民次郎百年忌)
遂ニ取上刑場ノ露トナレリト嗚呼何ゾソレ壮烈ナルヤ 此ノ年之カ為メニ見取検見ヲ受クルコトヲ得テ大ニ
年貢米
通史編1(古代・中世)
(藤崎城と中世都市)
もともと藤崎の地は、近世には羽州街道の宿駅で、なおかつ平川に臨む水陸交通の結節点にあり、岩木川を利用して
年貢米
通史編2(近世1)
(農政の転換)
財政を掌握しており、京都の金主(きんしゅ)(当時、江戸に送金する費用などがかさみ、その出費を賄うために
年貢米
通史編2(近世1)
(「標符(通帳)」発行の前提と経過)
と定めて取り引きし、利益とすること、⑦他国からの借金については藩が返済するので員数を書き出すこと、⑧
年貢米
通史編2(近世1)
(伏見作事板の運上と太閤蔵入地)
中心としながらも北羽の大名・小名を動員して行われ、その際、おもに秋田氏領内に設定された太閤蔵入地からの
年貢米
通史編2(近世1)
(北奥羽の領知確定)
津軽領には太閤蔵入地が設定され、この太閤蔵入地からの
年貢米
を敦賀の豪商組屋(くみや)源四郎に命じて南部領
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