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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (幕末期近衛家との関係)

その時は九代寧親(やすちか)が、政信は近衛尚通の猶子ではなく庶子であると改めて回答し、後日近衛家にも届,け出ていたが、嘉永二年(一八四九)閏四月には近衛家より今後の系図改めでは津軽家を近衛家の庶子とする旨、,津軽家にしてみれば血のつながりがない猶子よりは、血脈につながりが出る庶子の方が好都合であり、この返礼として,近衛家が津軽家を庶子と認めたのは、文化年間の一〇万石への高直りに伴って官位と家格が上昇したことに原因があり
通史編1(古代・中世) (得宗被官の入部)

いずれにしろ、多くは庶子かその一族の者、ないしは家臣が代官として下向してくることが多かった。
通史編1(古代・中世) (奥羽地方の地頭制)

彼らは現地へ自ら下向することはなく、庶子かその一族、あるいは家臣を、郷・村ごとに代官として派遣したり、
通史編1(古代・中世) (下国伊駒安陪姓之家譜)

下国伊駒安陪姓之家譜 『下国伊駒安陪姓之家譜』(史料一一五五・写真127)は、安藤氏庶子系の子孫である
通史編1(古代・中世) (嫡流と庶流)

嫡流が「太郎」の系統から庶子家へ変わることは津軽安藤氏の場合にもみられることであるし、北条氏嫡流も「四郎
通史編1(古代・中世) (藤崎城と中世都市)

いずれにしても十三湊安藤氏が没落しても、その後も津軽の地には安藤(安東)氏の庶子系が生き残って、南部氏
通史編2(近世1) (津軽家の自己認識確立への試み)

についてよほど気になったらしく、再び回答を要求し、その結果、津軽家側は、政信を「尚通公猶子」から「尚通公庶子
通史編1(古代・中世) (嘉元鐘銘文に登場する鎌倉武士)

考えるとき、地元の大豪族津軽安藤氏の前に名が置かれているこれら四人は、関東に本拠を置く御家人の一族・庶子
通史編2(近世1) (二代信枚の動向)

「惣領之筋目」を主張し、信枚の襲封を「庶子之国」となったとして非難している。
資料編1(古代・中世編) ([十四世紀])

一三四五北康永四)三月二十七日、平賀景貞に鼻和郡内摩禰牛郷を、工藤四郎五郎に同郡大浦郷内を、海老名小太郎に田舎郡安庶子郷
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

一三四五北康永四)三月二十七日、平賀景貞に鼻和郡内摩禰牛郷を、工藤四郎五郎に同郡大浦郷内を、海老名小太郎に田舎郡安庶子郷
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