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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (信明)

天明四年八月二十五日には長袴を着し、長勝寺・報恩寺・本行寺の廟所に詣でているが、本行寺には六代信著の側室円授院,の廟所があり、この年四三回忌に当たるのでそのための参詣とみられる。
通史編3(近世2) (隣松寺)

信政は元禄五年(一六九二)、母久祥院が死去すると、ここに廟所を築き、寺領一〇〇石を寄進した。
通史編3(近世2) (報恩寺)

この時、信義の五輪塔と殉死した四人の墓石は、廟所白雲台の後方に置かれた。
通史編3(近世2) (津梁院)

から改葬した(篠村正雄「浅草常福寺口上書と御屋舗江常福寺御由緒略覚」『市史ひろさき』三、同「津梁院境内廟所図
通史編3(近世2) (貞昌寺)

一六二二)に死去し、長勝寺へ入棺した際、三世良城が信枚の帰依を受けていたところから、貞昌寺へ位牌をたて廟所
通史編3(近世2) (長勝寺)

為信の正室・信枚・信枚の正室・信義・信著・信興の廟所が築かれたが、現在信興の廟はない。
通史編3(近世2) (藩士の信仰)

図244.信義廟所内の墓石(向かって右が山本安次の墓石)  庚申信仰は藩士の間にも行われており、
通史編3(近世2) ((一)藩主家の菩提寺)

寛永五年(一六二八)、為信の正室仙桃院が死去すると、長勝寺に廟所を造営した。
通史編3(近世2) (為信)

信枚は葬式の導師に格翁を頼み、廟所の革秀寺を建立して開山に推した(資料近世2No.四一四)。  
通史編3(近世2) (薬王院)

貞享四年(一六八七)、客殿から出火して焼失し、再建されたが、翌五年に藩は手廻組頭・馬廻組頭に廟所の火消番
通史編1(古代・中世) (種里城と町)

宗教施設は種里城跡の南側、御廟所の対岸に位置する大柳(おおやなぎ)地区にその遺構が良好な形で残されている
通史編2(近世1) (高照神社の造営と「名君」信政像の創出)

れをくむとされた藤原氏の氏神たち)を祀る小社のあった高岡(現中津軽郡岩木町百沢)の地を葬地と定めて、そこに自分の廟所
通史編2(近世1) (高照神社「御告書付」の開始)

寧親は文化七年(一八一〇)に高照神社の随身門(ずいしんもん)を、同十年に御廟所御門を建設したほか、種々修繕
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