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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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資料編2(近世編1) (第二節 海運の発達)

)江戸・上方廻米  (四)他国米買入 四 木材の移出と流通 五 十三小廻しの成立と展開 六 廻船約定,の制定 七 難船処理 八 廻船問屋の経営と仕切状
通史編2(近世1) (弘前八幡宮の祈祷)

年間,313回) 内   容 回数 古縣不動尊出汗神楽奉納 40 藩主并津軽氏一族病気平癒祈祷 35 廻船廻米海上無難祈祷,寛政元年~明治4年(82年間,217回) 内   容 回数 古縣不動尊出汗 16 藩主家平癒祈祷 23 廻船海上無難祈祷,比較から読みとれるのは、寛政元年以降の祈祷内容に、蝦夷地渡海安全祈祷と国家安全祈祷が加わったことと、廻船海上無難祈祷,そして勤番体制が本格化するなかで、廻船海上無難祈祷が警備藩士に対する蝦夷地渡海安全祈祷に取って代わられることになったとみることができよう
通史編2(近世1) (一 青森開港と初期海運)

一六六一~七三)、上方に至る西廻り航路が成立するまでは、主として北陸地方の敦賀(つるが)や小浜(おばま)の廻船商人,近世初期の段階では、敦賀の廻船商人で徳川家康との関係が深かった田中清六(せいろく)正長らが新たに日本海海運
通史編2(近世1) (近世初期海運)

北国船とは、近世初期から前期にかけて羽賀瀬(はがせ)船と並んで、日本海海運の主役として活躍した廻船であった,庄司太郎左衛門・茂右衛門の二人は、おそらく敦賀の有力な廻船商人であったと思われる。
通史編3(近世2) (幕末の交易活動)

それと同時に青森の廻船問屋滝屋(伊東)善五郎や藤林源右衛門は箱館奉行所の御用達(ごようたし)に任命され
通史編2(近世1) (対蝦夷地政策と青森商人の商業活動)

安政三年(一八五六)四月、青森の廻船問屋滝屋善五郎は、同じく青森の廻船問屋である藤林源右衛門とともに、
通史編2(近世1) (中世の北国海運)

室町時代の中ごろに成ったという『廻船式目(かいせんしきもく)』に三津七湊(さんしんしちそう)とあり、そのうち,このうち、田名部湊は室町期に開かれたといわれるが、具体像が明らかになるのは近世初頭で、酒田・敦賀の廻船
通史編1(古代・中世) (湊の始まり)

十三湊が文献に見い出されるのは、室町時代中期ごろに成立した廻船式目(かいせんしきもく)の三津七湊(さんしんしちそう
通史編2(近世1) (上方廻米)

寛文から元禄期の津軽と敦賀間の上方廻米にかかわっていた廻船の構成は、「手船」(藩船)と「雇船」に大別することができる
通史編2(近世1) (西廻海運による大坂廻米)

西廻海運による大坂廻米 西廻海運が実現すると、上方廻米に利用される廻船の多くが大坂での雇船となった。
通史編2(近世1) (異国船打払令の発令と津軽弘前藩)

の周知徹底については、三厩派遣の兵員・浦々の町奉行・湊目付にその心得方を申し渡すよう、また大筒掛役・廻船
通史編2(近世1) (対外交易の実態)

箱館奉行所や東北諸藩の御用達(ごようたし)に任命された廻船問屋滝屋(たきや)善五郎や藤林源右衛門などがその
通史編3(近世2) (改革開始以前の状況)

嘉永五年(一八五二)四月には八匁(もんめ)玉ゲベール銃一〇挺が廻船(かいせん)で取り寄せられたのを皮切
資料編2(近世編1) (【解説】)

から幕末に至るまでの、西廻り海運や東廻り海運における商品流通の実態を示す史料を中心に、青森や鯵ヶ沢の廻船問屋史料
通史編2(近世1) (岩木川舟運)

鰺ヶ沢からは、領外の廻船がもたらす木綿・荒物・紙・砂糖・瀬戸物等の生活必需品が逆ルートで領内に運ばれたのである
通史編2(近世1) (青森騒動の経過)

一方、湊番所では別の一隊が、「廻米を強行するなら廻船を破壊し、米俵は海に捨てる」との威嚇を行い、上方相場
通史編3(近世2) (新政府からの借財と藩札の発行)

このころ、青森の廻船問屋滝屋善五郎は日記の中で、いまだに藩が支払うと約束していた兵隊の宿代も下されず、
通史編3(近世2) (諸家業と職人)

諸家業 区  分 軒数 備 考 借 家 医者 53 内本道13軒  鍼医40軒 公用船取扱 2 御廻船調取扱
資料編2(近世編1) (新編 弘前市史 資料編2(近世編1) 目次)

  五 十三小廻しの成立と展開  ……………………………………………………………  一〇五三   六 廻船約定,  七 難船処理  ………………………………………………………………………………  一〇五六   八 廻船問屋
通史編2(近世1) (青森町の成立と青森開港)

寛永二年(一六二五)五月十五日、二代藩主津軽信枚(のぶひら)は、津軽から江戸への廻船運行を許可する、幕府年寄衆土井利勝
資料編1(古代・中世編) ([十四世紀])

●室町時代中期ころ、廻船式目に三津七湊の一つとして津軽十三湊の名が見える。
通史編2(近世1) (毛内宜応の「秘書 全」)

し、また領内産物を移出する場合は、いったん藩が買い上げたうえで、地払(じばら)い(領内での販売)なり廻船
資料編1(古代・中世編) ([十六世紀])

●天文十三年(一五四四)、弘前親方町竹内氏、この年より先祖嘉右衛門が十三湊にて大浦氏の廻船御用を務めると
通史編3(近世2) (二 藩主の日常生活)

松前へ渡海の件、山本四郎左衛門へ半兵衛より預米を五〇〇俵封印切り願いの件、牢奉行栗田(くりた)久之丞、廻船無難
資料編3(近世編2) (【解説】)

金木屋敬之は、賀田へ転居したとはいえ酒屋を同地で経営しており、鯵ヶ沢湊や青森湊から廻船によってもたらされた
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

…………………………… 庭訓往来 225 ●室町時代中期ころ、廻船式目に三津七湊の一つとして津軽十三湊,…………………………… 廻船式目 226 ●応永元年(一三九四)ころ、関東諸国・北海夷狄動乱。,寛永諸家系図伝 288 ●天文十三年(一五四四)、弘前親方町竹内氏、この年より先祖嘉右衛門が十三湊にて大浦氏の廻船御用
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●寛永二年(一六二五)五月十五日、幕府年寄衆土井利勝、酒井忠世、津軽信枚へ、津軽から江戸への廻船運航を
資料編1(古代・中世編) (出典・典拠一覧(第一章・第二章))

小浜本鏡寺墓碑銘 … 山名暢氏論文「戦国期若狭小浜の関戸氏と組屋氏」福井県総務部県史編さん課『県史資料』4 か 廻船式目
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