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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (中津軽郡公立弘前中学校)

中津軽郡公立弘前中学校 明治十二年(一八七九)九月の教育令制定によって、県は県立専門学校教則と青森県公立中学校教則,公立弘前中学校の修業年限は、他郡の中学校より一年多く四ヵ年であった。,写真59 公立中学校在籍生徒学齢調(明治17年)  公立弘前中学校は再建を策し、中津軽郡内の有志,これによって公立弘前中学校は全く廃止された(注、公立弘前中学校は、後年の青森県尋常中学校〔現県立弘前高校 / 中津軽郡公立弘前中学校
通史編4(近・現代1) (青森県立弘前中学校の変遷)

青森県立弘前中学校の変遷 明治十二年(一八七九)、教育令が制定されたものの、各郡公立中学校の教育課程 / 青森県立弘前中学校の変遷
通史編5(近・現代2) (弘前へ帰る)

昭和十九年三月帰郷、五月東亜連盟青森支部の事務長となり、在職中の国策会社東亜通商を辞職、六月二十六日から県立弘前中学校,写真85 中国山西の前線での東奥日報社従軍記者:山崎元衛  大陸班は、弘前中学校が戦時体制の国策,昭和十九年、東亜連盟同志会の鳴海理三郎、小田桐孫一、佐藤正三らはいずれも弘前中学校の教師となったが、やがて
通史編4(近・現代1) (大正期の弘中)

大正期の弘中 大正二年に東奥義塾が廃校したのと前後して、大正三年には弘前中学校木造分校が廃校となった,大正二年(一九一三)、県立弘前中学校は創立三十周年を迎えた。,写真184 校舎改築後の県立弘前中学校 (大正4年)  大正七年(一九一八)十一月になって、第一次世界大戦,写真185 弘前中学校講演部 (大正15年)  大正後期はまた、文部省督学官、視学委員、県視学
通史編5(近・現代2) (国際試合で活躍)

戦後まもない昭和二十一年に、まず旧制弘前中学校(現弘前高等学校)が全国中学校卓球選手権大会で優勝している,その弘前高等学校出身の成田静司(なりたせいじ)が弘前中学校の伝統を受け継ぎ活躍した。
通史編4(近・現代1) (小学校の改革)

弘前を含む中津軽郡では、東奥義塾や公立弘前中学校があったため、改正教育令で設置できるとされていた高等科,また、公立中学校も旧制度のものであったので、十九年八月の中学校令の公布により全く廃止された(公立弘前中学校
通史編5(近・現代2) (音楽教育の先達)

明治十八年八月から弘前中学校、青森師範学校で音楽を教えた。
通史編5(近・現代2) (新制高校の発足)

同年十月、弘前中学校では弘中報国団を校友会に改組した。,写真133 終戦直後の弘前中学校復員組  二十一年には、GHQの指令による公職追放の嵐が吹き荒れた
通史編4(近・現代1) (市立図書館の設置)

開館式が挙行されるまでに、私立弘前図書館の蔵書はすべて新設の市立図書館に引き継がれ、初代館長に市立弘前中学校東奥義塾
通史編3(近世2) (慈雲院)

大正四年(一九一五)から旧制弘前中学校校地の拡張が、慈雲院の境内全部と報恩寺の一部に及んだため、慈雲院
通史編5(近・現代2) (嶽籠城ストライキ)

弘前中学校当局の教育方針を見るに只欺瞞と矛盾と暴力である故に我等はその非なることを和平的態度を以て再三,写真64 弘前中学校嶽ストライキ(昭和6年10月)  しかし、いかに昭和初期とはいえ、教師による
通史編5(近・現代2) (報国団の結成へ)

しかし、昭和十六年、校友会は改組されて弘前中学校報国団となった。
通史編5(近・現代2) ((五)野球)

、二十五年、その東奥義塾と青森師範が初めての野球対校試合を開催、三十六年には青森県立第一中学校(のち弘前中学校
通史編5(近・現代2) (柔道で世界を制覇した男)

明治二十六年(一八九三)、青森県尋常中学校(のち青森県立弘前中学校)に入学したが、二十九年、東京早稲田中学
通史編5(近・現代2) (書の伝統)

文堂は長く東奥義塾の書道教師を勤め、長男松堂は県立弘前中学校の習字、国漢文を教授すること三十余年に及んだ
通史編5(近・現代2) (北門書道会の結成)

北門書道会の結成 昭和六年(一九三一)九月、葛西真鶴(かさいしんかく)他数人が、四月に県立弘前中学校書道教師
通史編5(近・現代2) (葛原市政)

昭和六年に県立弘前中学校で起きた嶽籠城ストライキ事件時の校長だった。
通史編4(近・現代1) (弘中生気質)

弘中生同盟休校 歌劇観覧禁止で  弘前中学校にては、三、四、五年生全部が、昨日、突如として同盟休校を,大正九年或ハ十年歟(か)我等弘前中学校五年生たりし時、校風発揚委員の件あり、遂に同盟休校を成し、殊に亡
通史編5(近・現代2) (撃剣家・市川宇門)

弘前中学校(現弘前高等学校)の剣道師範も務める。
通史編5(近・現代2) (音楽家たち)

当時の『弘前新聞』の笹森順造(ささもりじゅんぞう)の紹介文によると、弘前中学校の同窓生であり、世界的な
通史編4(近・現代1) (出家と禅画)

この後、県立弘前中学校に入学して三十六年に卒業したが、この間、禅僧千崎如幻の仏苗学園でも学んだ。
通史編5(近・現代2) (第九回夏季オリンピック・アムステルダム大会出場・井沼清七)

念願の弘前中学校の陸上部に入部する。
通史編5(近・現代2) (虚弱な少年時代)

朝陽小学校を経て、大正二年(一九二七)、青森県立弘前中学校に入学。
通史編5(近・現代2) (野村三郎と五・一五事件)

青森県立弘前中学校(現弘前高校)二年修了で、大正十四年四月一日東京陸軍幼年学校に入校、昭和三年三月同校
通史編4(近・現代1) (第一回少年野球大会)

参加校は予報より一校多く(A組に弘前中学校一年生が参加)、A組四校、B組七校の計一一校。
通史編4(近・現代1) ([口絵])

水泳 口絵70 大正10年中郡小学校連合運動会で新和小学校優勝 口絵71 青森県立弘前中学校
通史編4(近・現代1) (工業学校の創設と東奥義塾の廃校)

東奥義塾を工業学校に転用するというのは、当時東奥義塾が経営難から市へ移管、弘前市立弘前中学校東奥義塾となり
通史編4(近・現代1) (東奥義塾の再興なる)

東奥義塾の再興なる 大正三年(一九一四)三月、県立弘前中学校東奥義塾は、五〇人の卒業生を送り出したのを
通史編3(近世2) (第二次藩政改革)

後養蚕事業 正 権 大 属 小山巴(80俵) M8年没 一町田大江(80俵) 各地郡長歴任 後弘前中学校初代校長
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