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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(弘前士族の反発)
弘前士族
の反発 明治六年春から夏にかけて弘前貫属士族の起こした給禄渡しの騒擾(そうじょう)は、青森県,このメンバーは、この後も
弘前士族
の中の不平分子の中核となり、明治十四年から十五年にかけての弘前紛紜(ふんうん,彼らの中で最も活発に活動したのは川越石太郎で、彼の思想は不平
弘前士族
の典型であり、その時代錯誤は悲劇的,しかし
弘前士族
は常禄に甘え、安逸に馴れ、自活の精神を失い、飢餓瀕死の域に陥った。 /
弘前士族
の反発
通史編4(近・現代1)
(保守派との合同団結)
明治十四年十月二十八日、県政を動かす
弘前士族
の指導者たちが、山田秀典県令の呼びかけで郷田兼徳(ごうだかねのり,しかし、この青森県発展への妙手の山田案は、キリスト教を憎み、自由民権に反対する固陋(ころう)の
弘前士族
通史編4(近・現代1)
(若き日の笹森儀助)
明治十四年に郡長を辞して、
弘前士族
救済のため岩木山麓に農牧社(のうぼくしゃ)を開業、以後一〇年間寝食を
通史編4(近・現代1)
(菊池武徳と中央政治)
また、青森市は、前年十二月まで
弘前士族
で国士肌の笹森儀助が市長であり、その後任の芹川得一も
弘前士族
で東奥義塾
通史編4(近・現代1)
(東奥義塾の啓蒙活動)
東奥義塾の啓蒙活動 青森県は創県以来、野田大参事と菱田権令の確執、維新政府の近代化政策への一部
弘前士族
,の反発、
弘前士族
間の対立などの上に任期の短い県令が続き、地方行政が円滑を欠き、難治県とされ、政府からの
通史編4(近・現代1)
(菊池九郎の手紙)
この状況を見て、菊池九郎の長男菊池良一や
弘前士族
で時事新報記者工藤十三雄も政界進出の希望を抱き、大先輩
通史編4(近・現代1)
(県政初期の混乱)
菱田権令の官僚主義は、明治六年の五月中旬から二ヵ月間続いた
弘前士族
の家禄支給問題を発生させた。,当時の
弘前士族
は四分五裂の状態にあった。津軽家一門も保守派と時代容認派があった。,
弘前士族
間の確執は、この後の近代青森県の発展に悪影響を及ぼし、中央に難治県の名を残した(関連・本章第二節第一項
通史編4(近・現代1)
(組織的活動-化育社)
青森りんごの普及と技術的発展の端緒を開くに当たって、
弘前士族
が果たした指導的役割は大きなものがあった。
通史編4(近・現代1)
(第五十九国立銀行の創設)
、渋沢栄一や商業を営む平民の株主らが海陸交通の便のよい青森にすべきだと主張したが、株主の大半を占める
弘前士族
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