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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編5(近・現代2) (進取の建築)

翌年の弘前商業会議所になると、シンプルなデザインで装飾を廃し、大正十二年(一九二三)の弘前市公会堂とともに,先述のゼゼッシオン風の弘前市公会堂といい、高谷別邸洋館といい、時代の流行に敏感な弘前人の気質を見るようで
通史編5(近・現代2) (洋風建築から近代建築へ)

同様の傾向は、その後の弘前市公会堂、「角は」デパートの設計に引き継がれ、大正十年代からが弘前地方における
通史編4(近・現代1) (弘前高等学校の開校)

開校式は大正十年四月十六日に仮校舎である弘前市公会堂で行われた。
通史編5(近・現代2) (青年学校の移転と廃止)

弘前国民学校は学制改革(新制中学校発足)で廃校になるので問題はなかったが、青年学校は校舎を失い、上白銀町の弘前市公会堂
通史編5(近・現代2) (秩父宮殿下の御来弘)

同月二十四日弘前市公会堂において、本市在住の宮中席次を有する者に対して列立賜謁があり、奏任待遇校長たちは
通史編5(近・現代2) (宗教団体法の成立)

また、その前年、下北半島の伝道から津軽農村伝道センター所長となり、東奥義塾教師となった滝沢清牧師は、弘前市公会堂
通史編4(近・現代1) (私設市連合青年団)

この弘前支部の呼びかけで、この年十二月七日、当時蔵主町角にあった弘前市公会堂に県内各青年団体が集まり、
通史編5(近・現代2) (富田大火と第一・第二大成小学校の焼失)

いつまでも二部授業を続けていては教育上問題があるというので、市は蔵主町角(現NHK弘前支局敷地)にある旧弘前市公会堂
通史編5(近・現代2) (美術団体の躍進)

一九一三-一九七五 横浜市)、棟方一らが、弘前を主とした美術展の機会を広げるのが目的で「国土社」を結成し、弘前市公会堂
通史編5(近・現代2) (通俗教育から社会教育へ)

ただ、大正十二年(一九二三)八月、弘前出身の実業家藤田謙一寄付の弘前市公会堂の落成が、社会教育の場を広
通史編5(近・現代2) (昭和天皇の来弘)

病院をあとにした天皇は宿泊所となっていた弘前市公会堂に入り、公会堂内でりんご栽培や農業経営に関する説明
通史編4(近・現代1) (北部無産社)

堀江は、洋風建築で名高い堀江佐吉の子だが、藤田謙一の弘前市公会堂の建築を請け負って仮借(かしゃく)ない
通史編4(近・現代1) ([口絵])

口絵64 岩木橋を渡る御山参詣の人々 口絵65 東長町の商店 口絵66 弘前市公会堂
通史編4(近・現代1) ([付図])

官立弘前高等学校開校〈大正10年〉 46 第八師団歩兵第五二連隊シベリア出兵〈大正10年〉 47 弘前市公会堂開堂
通史編4(近・現代1) ((四)津軽における社会主義勢力の伸長)

十二年六月の東京本部の発会式には本多浩治が出席、翌七月二十八日には、政治研究会弘前支部が弘前市公会堂で
通史編4(近・現代1) (東奥義塾の再興なる)

そして蔵主町の角にあった弘前市公会堂を市から借り受けて仮校舎とし、四月七日に開校式を行った。
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