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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(弘前県から青森県へ)
弘前県
から青森県へ 九月五日野田豁通(ひろみち)が
弘前県
大参事に任ぜられた。,ひょうぶしょうろく)に任ぜられ、明治二年八月二十三日胆沢(いざわ)県(現岩手県の一部)少参事、そして四年九月五日
弘前県
大参事,それで、
弘前県
に着任する前に大蔵省に県行政に関する二一件の伺いを立てた。,伺いは、第一に県庁の青森移転、すなわち
弘前県
が消えて青森県が誕生するということだった。,そして、九月二十三日、太政官布達第二号で「
弘前県
其県庁青森へ相移改て青森と可称事」と青森県を称することになった /
弘前県
から青森県へ
通史編4(近・現代1)
(家禄制度改革)
家禄制度改革 明治四年(一八七一)七月に廃藩置県が行われ、旧弘前藩は
弘前県
となり、知藩事(藩名を付すときは,ほどなく同年九月に、
弘前県
、館県、八戸県、黒石県、斗南県、七戸県の六県が合併して
弘前県
になった。 ,六県が合併して成立した
弘前県
での家禄総計は、米が八万七四七九石六斗五升、金五五六円八五銭であり、その内訳,738.00 旧七戸藩 162.00 貫属士族卒家禄 68,368.65 556.85 内 訳 旧
弘前県
,表4 旧
弘前県
貫属士族卒家禄内訳 家禄の大きさ 人数 合計(石) 米80石 11 880.00 米60
通史編3(近世2)
(藩から県へ)
一八七一)七月十四日、廃藩置県(はいはんちけん)の詔勅が発布され、藩体制は名実ともに解体し、弘前藩も
弘前県
,財政の窮乏は
弘前県
などはまだましな方で、その他の県の逼迫(ひっぱく)は想像を絶した。,(やすとう)と八戸県大参事太田広城(ひろき)は会談して、困窮のどん底にある斗南・八戸・七戸・黒石県が
弘前県
,しかし、
弘前県
は九月二十三日に青森県と改称され、県庁も弘前から青森に移転することとなった。,別 (町歩) 石 高 (石) 租税高 (米-石) 租税高 (金-円) 租税高 (銭-貫)
弘前県
通史編4(近・現代1)
(戸籍法と戸籍区)
となる 4 (1871) 4 戸籍法発布 7 弘前藩廃止
弘前県
設置,(廃藩置県)・知藩事免官となる 9
弘前県
に5県を合県 9 野田豁道 ,
弘前県
大参事に任命さる 9
弘前県
が青森県と改称されるとともに本庁を青森に移転 11
通史編4(近・現代1)
(東奥共同会の設立)
版籍奉還 4 (1871) 7 廃藩置県 9 野田豁道
弘前県
大参事,に任命さる 9
弘前県
を青森県と改称 11 菱田重禧 青森県権令に任命さる &
通史編3(近世2)
(新しい指導者)
翌十九日には七戸まで至ったが、就寝しようとした時に東京から帰国した
弘前県
貫属(かんぞく)工藤・館山某が,明治六年(一八七三)二月に菱田は青森に帰ったが、この年の五月から六月にかけて
弘前県
士族の不穏な動向が県政,田地を取り上げられた農民が経営難に陥っており、菱田を辞職に追いやった士族の騒動ともあいまって、北代も旧
弘前県
士族
通史編4(近・現代1)
(廃藩置県)
加藤盛城 九月四日、太政官は七戸県、八戸県、斗南(となみ)県、黒石県、館(たて)県の五県を
弘前県
通史編4(近・現代1)
(貨幣制度の改革)
明治四年十一月に旧
弘前県
が青森県に届け出た願により、藩札発行とその後の対応の様子がわかる。
通史編4(近・現代1)
(県政初期の混乱)
地方沿革略譜」で「青森県 置県 明治四年十一月二日 廃青森県更置之」とあるように、弘前藩から自動的に
弘前県
,となり、そのまま合県で青森県になった直線コースを否定し、明治四年十一月二日、太政官は
弘前県
の大参事野田豁通
通史編5(近・現代2)
(相次ぐ水害と商店街)
なお、税関係については弘前税務署、
弘前県
税事務所、弘前市税務課に問い合せるよう呼びかけた(同前)。
通史編4(近・現代1)
(町の様子)
廃藩置県となって、
弘前県
であったときは別に変はりがなかったが、一旦青森県となって県の位置がなくなり、同時
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