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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(弘前駅前地区整備事業)
弘前駅
前地区整備事業 土地区画整理事業の代表例として
弘前駅
前地区を見れば、その目的は、駅前広場と駅前通,
弘前駅
前地区の整備計画は、昭和四十三年(一九六八)に駅前南地区の土地区画整理事業として開始され、当初の,この計画は昭和五十四年開始の
弘前駅
前地区土地区画整理事業に引き継がれた。 ,
弘前駅
前地区土地区画整理事業は、昭和五十四年の設計の方針としては、まず、土地利用計画は、都市計画により,定められた用途地域との整合性を図り、特に
弘前駅
周辺を核とした商業地域の拡充と高度利用を図ることが目指されている /
弘前駅
前地区整備事業
通史編5(近・現代2)
(駅ビルの建設)
駅ビルの建設 昭和五十五年七月に、
弘前駅
の駅ビル建設の起工式が行われた。,それまでの国鉄
弘前駅
の駅舎は、明治三十三年(一九〇〇)の建築で、その後一部手直しが行われたが、弘前商工会議所,さらに昭和四十二年九月に、市議会に民衆駅にすることを含めて、検討せられたい旨が付記された「
弘前駅
新築について,弘前市では、これに応えて同年二月、市議会内に、
弘前駅
新築促進特別委員会を設置した。,
弘前駅
は駅ビルと併せて発着ホームも一部改造し、一二輛編成の列車に合わせて、ホームの長さが二七〇メートル
通史編5(近・現代2)
(鉄道営業の整備)
鉄道営業の整備 昭和二年(一九二七)七月には、弘前市会において五能線の列車を
弘前駅
に直通させ、その発着点,五能鉄道ヲ
弘前駅
ニ直通セシムル件ニ就キ再請願 五能鉄道ヲ
弘前駅
ニ直通セシメ
弘前駅
ヲ以テ其発着点タラシムル,シ候テハ何等カノ決定的御方針ノ下ニ改修セラルヽニアラサルヤヲ想ヒ懸念ニ堪エサル次第ニ御座候 該線ヲ
弘前駅
,その『学都弘前』のピンと来るものは
弘前駅
の列車通学生の素晴しい事だ。,
弘前駅
調査の六月末現在の通学生総数は九百二十四人、昨年に比べると百二十三人増えてゐる。
通史編5(近・現代2)
(和徳村との合併問題)
和徳村との合併問題 弘前市と和徳村の合併問題は、奥羽線弘前・青森間の開通に伴う
弘前駅
の設置に端を発していた,
弘前駅
が開業したことにより、青森・弘前間の交通路が確保されるようになれば、当然駅周辺にも市街地が形成され,しかし
弘前駅
が和徳村にある以上、弘前市中心部とは一定の距離があり、行政区画の違いなどもあって、市民にとっては,市長は
弘前駅
と市の中心部を結ぶ道路の開通が必要であり、建設費用や市街地形成の観点からも合併が必要だと強調,市長は合併を部分的にでも開始すべきと見て、まずは
弘前駅
周辺の合併を考慮した。
通史編5(近・現代2)
(金澤市政の財政)
また、福士市政から受け継がれてきた
弘前駅
前再開発事業は金澤市政において完了する。 ,③
弘前駅
前再開発事業 福士市政から受け継がれてきた
弘前駅
前再開発事業は、三年度末には駅前地区土地区画整理,七年度から駅前地下道と地下自転車駐輪場が建設され、十年度には駅前広場が完成し、十一年度からJR
弘前駅
東西自由通路,写真159 土地区画整理事業の終わったJR
弘前駅
前 (二)津軽広域圏の開発 六年九月、
通史編5(近・現代2)
(満州事変勃発と小学校)
六年十月二十一日の和徳小学校日誌に「戦死者遺骨出迎ノタメ六学年以上百三十名、二訓導ニ引率サレ
弘前駅
ニ赴,同年十一月十三日、弘前第八師団に動員令が下り、この日大部隊が
弘前駅
を出発した。,十四日午前四時半、同六時半の三回にわたって出発したが、市内小学校三学年以上の男女児童は、三回に分かれてこれを
弘前駅
前
通史編5(近・現代2)
(大型店舗の出店)
平成元年現在の大型店舗としては、イトーヨーカ堂(
弘前駅
前、店舗面積、一万五六六四平方メートル)、ダックシティ,また、これらの店舗は変動も激しく、タックシティが土手町から郊外に移り、また、
弘前駅
前地区再開発ビルにダイエー
通史編5(近・現代2)
(公労協ストの本県の情況)
奥羽線では、大館発午前五時四十分の下り列車が
弘前駅
で打ち切りのため、弘前発午前六時四十七分の青森行き列車,十一月二十九日、
弘前駅
を発着した列車は五能線東能代-弘前間一往復だけ。,
弘前駅
は閑散として、午前五時四十五分に発車した五能線東能代行きには乗客はだったの一〇人。
通史編5(近・現代2)
([口絵])
54年) 口絵54 〝りんご台風〟で落果したりんご(平成3年) †変わりゆく街†
弘前駅
,口絵55 昭和29年、朝の国鉄
弘前駅
口絵56 昭和30年代観桜会時の駅前,口絵57 3代目
弘前駅
舎(昭和56年供用開始)と駅ビル「アプリーズ」 口絵58 駅前を飾るモニュメント,口絵79 平成11年度都市景観大賞受賞の下土手町地区 口絵80 都市景観100選に選ばれた
弘前駅
前地区
通史編5(近・現代2)
(連合軍の弘前進駐)
九月二十六日、連合国軍部隊は青森駅から奥羽本線を臨時列車で
弘前駅
に向かい、午前十時三十五分、
弘前駅
に到着
通史編5(近・現代2)
(本県初の鉄道電化)
ちなみに板柳までのルートは、西
弘前駅
から分岐し、樹木-茂森-駒越-大浦-船沢-高杉-裾野-新和-掛落林,ところで、この開通に先立って、市議会では、黄昏橋から現在の中央
弘前駅
に至る境橋までの土淵川沿いの市道を
通史編4(近・現代1)
([口絵])
工藤行幹 †鉄道開通† 口絵9 人力車のある風景(本町) 口絵10 明治30年代の
弘前駅
,口絵11
弘前駅
構内 †りんご栽培のはじまり† 口絵12 明治年代初期のりんご,第五連隊の救助を指揮した齋藤長義輜重第八大隊長 (元弘前藩士) 口絵29 日露戦争凱旋門(
弘前駅
前
通史編5(近・現代2)
(市街地再開発事業)
この事業としては、昭和六十三年(一九八八)に計画決定した
弘前駅
前地区第一種市街地再開発事業がある。
通史編5(近・現代2)
(地区計画)
12月10日 8.5ha 第一種住居地域 住宅地 弘前市告示第234号 旅館・ホテル規制
弘前駅
前,大別すれば、茂森新町地区、千年地区、浜の町地区、南大町地区、小比内地区、富士見台地区の六地区が住居系、
弘前駅
前,- 用途の制限
弘前駅
前・上土手町地区 土地の高度利用が見込まれるJR
弘前駅
前地区及び上土手町地区において
通史編5(近・現代2)
(都市計画と道路建設)
2,969.8 3.3.3 下白銀町福村線 27 4,130 〃 平成2年8月31日 1,844 3.3.4
弘前駅
下白銀町線,22 1,520 〃 昭和54年11月13日 1,520 3.3.5
弘前駅
土手町線 22 590,昭和53年1月14日 920 8.7.2 堅田2号線 6 970 〃 710 8.7.4
弘前駅
城東地下道線
通史編5(近・現代2)
(福士市政の財政)
それは
弘前駅
舎新築と駅周辺再開発、水害対策、清掃・下水道事業、観光と文化財の保護、高齢化社会への対応、,①
弘前駅
舎新築と駅周辺再開発 藤森市政において四十三年度から検討されてきた
弘前駅
舎の新築と周辺再開発,新築の駅ビルは五十七年度に「アプリーズ」という愛称でオープンし、また、
弘前駅
城東地下道も完成した。,写真155 新築なった国鉄
弘前駅
舎(昭和56年、右隣は旧駅舎) ②水害対策 就任したばかりの
通史編5(近・現代2)
(鉄道の高速化)
大宮間で開業したが、盛岡以北の着工のめどが立たないままでの開業ということから青森県内の反応は冷ややかで、
弘前駅
通史編4(近・現代1)
(軍艦見学)
参加児童は各校合わせて一四六一人、特別列車を仕立てての
弘前駅
出発であった。
通史編5(近・現代2)
(りんご酒の醸造)
凶作に対し、政府は救農対策として農村工業振興策を講じるが、その一環として、昭和十二年(一九三七)七月、
弘前駅
前
通史編5(近・現代2)
(弘前電波高校の開校)
弘前電波高校の開校 昭和三十二年(一九五七)、弘南電鉄南
弘前駅
の近くに、弘前電波高校の前身たる弘前高等電波学校
通史編4(近・現代1)
(鉄道事業の伸展)
◇弘南鉄道計画 弘南鉄道株式会社建設事務所は七月一日から
弘前駅
前大室旅館支店の東向き一室を借受芳賀事務主任以下四五名,の事務員が事務を開始している、
弘前駅
から発程し中郡及び南郡河南を通過し大光寺本町から左折し尾上に至る延長七哩,弘南鉄道株式会社の社長は菊池武憲で、資本金六〇万円、津軽尾上駅、平賀駅、舘田駅、新里停留場、松森停留場、
弘前駅
通史編5(近・現代2)
(秩父宮殿下の御来弘)
殿下が妃殿下とともに
弘前駅
に御到着になったのは昭和十年八月十日午前八時五十二分、直ちに紺屋町の御仮邸(
通史編5(近・現代2)
(盆踊り)
各地区ごとに行われていた盆踊りは、地区により変容、衰退、廃絶してしまったが、「津軽ドダレバチ大会」が
弘前駅
前商店街振興組合
通史編4(近・現代1)
(凶作の影響)
このほか、
弘前駅
をはじめとして県内の主要な駅の乗降客数が減少し、質屋での質流れ金額が前年比の三倍に増加
通史編5(近・現代2)
(東京からの集団疎開児童)
七日午前十時四分、疎開児童第一陣が
弘前駅
に着いたとき、市内各国民学校から出迎えが出たが、代表して歓迎の
通史編4(近・現代1)
(奥羽本線の開通)
写真84 鉄道開通時の
弘前駅
鉄道省編『日本鉄道史』(一九二一年)によれば、鉄道が普及する一方
通史編4(近・現代1)
(運送業の活躍)
乗合運転区域は市内を三区に分けて各区とも一〇銭均一制をとって、
弘前駅
での列車の発着に合わせて駅から各区
通史編1(古代・中世)
(福村城跡)
福村城跡 福村地区は、
弘前駅
から東へ約二・五キロメートルの平川下流域、平川と引座(ひきざ)川の合流点付近
通史編5(近・現代2)
(幹線道路建設)
都市計画街路三・三・七号弘前・黒石線が松森町までの完成をみ、また、昭和四十九年度から市営で続けてきた三・三・四号
弘前駅
,⑦三・三・四号
弘前駅
・下白銀町線の事業促進を図る。
通史編4(近・現代1)
(鉄道の開通と運輸事業)
写真85
弘前駅
前の乗合馬車
通史編4(近・現代1)
(県立弘前高等女学校)
突然のことで、スキーその他の用具の準備が大変だったが、十七日にはあわただしく
弘前駅
を出発している。,さっそく国語担当の秋山幸子教諭に徹夜で優勝讃歌『津軽乙女の意気を見よの歌』を作詞させ、「全校の教員と生徒が
弘前駅
通史編5(近・現代2)
(菊ともみじまつり)
商工会議所会頭が開会の言葉を述べ、
弘前駅
長が祝辞を寄せた。
通史編4(近・現代1)
(第八師団のシベリア派遣)
弘前駅
には凱旋門が設けられ、師団司令部前には市当局をはじめ、市民が数多く動員されて帰還部隊を迎えた。
通史編5(近・現代2)
(秩父宮の歩兵第三一連隊赴任)
その際、
弘前駅
での奉迎を受けていた。
通史編5(近・現代2)
(学校建築・公共的建築)
わずかに明治二十五年改築の弘前市役所、明治二十六年(一八九三)の弘前警察署、明治三十二年(一八九九)の
弘前駅
舎
通史編5(近・現代2)
(市域の整備と町村合併)
爾来(じらい)、郡市合併問題は
弘前駅
周辺の和徳村合併と併せ、歴代市長の課題となっていた。
通史編5(近・現代2)
(弘前南高校の誕生)
南高校は国鉄
弘前駅
から約五キロ、通学にはかなり不便なので、バイクで通う生徒も少なくなかったのである。
通史編5(近・現代2)
(観桜会(さくらまつり)の運営方針)
弘南バスの運行に関しては、
弘前駅
と公園の往復乗車券のほか、片道乗車券を発行するよう同社に申し込むこととしている
通史編5(近・現代2)
(ソ連からの引揚げ督促)
弘前市でも留守家族の出迎えを勧奨し、秋田、大館など県外まで出迎え、最低でも
弘前駅
まで出迎えるように指導
通史編5(近・現代2)
(藤森市政の財政)
それは公共物の建設、住宅・工業団地の造成、
弘前駅
舎の新築、交通対策と交通安全対策などである。,図4 城西団地完成イメージ図 ③
弘前駅
舎の新築
弘前駅
舎の新築は四十三年度から検討されるが
通史編5(近・現代2)
(相次ぐ火災)
さらに昭和三十二年十月二十五日には
弘前駅
前の映画館が全焼した。
通史編5(近・現代2)
(弘前女学校のキリスト教)
突然朝の二時に
弘前駅
に着きました。台風のために電報がおくれ、出迎えてくれる人は誰もおりません。
通史編4(近・現代1)
(笹森修一、修二兄弟と社会主義研究団体)
メンバーは本多浩治、山崎元衛、原子基、阿部某等、七、八人で、集会場所は
弘前駅
の東一丁ほどの水田にある弘前電灯会社変電所
通史編5(近・現代2)
(観桜会運営の一側面)
このうち
弘前駅
下車客は二十万人弱、市内や近郊からの観光客が三〇万人強だった。
通史編5(近・現代2)
(観桜会運営の打合会議)
青森観光協会機関紙への特集号として「花の弘前」を掲載し、青森駅前の観光塔に広告を記載し、
弘前駅
前案内所
通史編5(近・現代2)
(りんご加工業と輸出)
写真45 県購連弘前林檎加工場(
弘前駅
前) 竹舘産業組合でシャンパン事業に従事した佐藤弥作、田中武雄
通史編5(近・現代2)
(空襲を受けなかった弘前市)
弘前駅
周辺や土手町、親方町など市の中心部にも防空壕は多数作られたが、国民学校に数多くの防空壕が作られたのは
通史編5(近・現代2)
(知事・市長への陳情)
市長の回答は、駅前と駅東側を結ぶ連絡道路についてや、
弘前駅
の民衆駅化について努力すること、弘前バイパス
通史編5(近・現代2)
(観光協会をめぐる紛糾)
これに対し、石場旅館の石場久一郎と古海敏一
弘前駅
長は、市の勧業課にはたらきかけた。
通史編4(近・現代1)
(巡幸の日誌と弘前)
弘前駅
東西一里十町、南北二十三町、戸七千、口三万二千、冨戸亦多シ。
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