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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編4(近・現代1)
(就学生千人を超える)
就学生千人を超える 明治二十五年(一八九二)九月の学年始業式で、
弘前高等小学校
の就学生徒が一千人に達,写真104
弘前高等小学校
当時高等小学校に入学することは、今日の大学入学より希少価値があって,は千余名、参観者は無慮一万人以上に達し未曾有の盛況」としているが、就学生が千人を超えた小学校は県下で
弘前高等小学校
,中津軽郡に高等小学校が設置されていないのは、
弘前高等小学校
に入学するためである。
通史編4(近・現代1)
(明治二十年(一八八七)の予算審議)
まず、収入の予算は大幅に増大しているが、その主たる原因は
弘前高等小学校
生徒が納める生徒授業料である。,440.00 道路費 420.00 橋梁費 20.00 教育補助費 747.98
弘前高等小学校
補助費,
弘前高等小学校
については、各種の費用につき、多くの論点で議論がなされている。
通史編4(近・現代1)
(玉成高等小学校の創立)
び中津軽郡各村は、郡の中心地たる弘前に高等小学校一校を設置して、郡内の高等小学校入学希望者を一括して
弘前高等小学校
,ところが、高等小学校入学者が年々増加し、ことに日清戦争勝利後の三十年に至って入学希望者が激増したため、
弘前高等小学校
通史編5(近・現代2)
(学校建築・公共的建築)
その後、明治二十二年(一八八九)には和徳小学校の改築、
弘前高等小学校
の新築、明治二十四年(一八九一)には,大成小学校の焼失再建と続くが、そのうち
弘前高等小学校
ではポーチの隅角に擬石積をあしらい、軒に刳形(くりかた
通史編4(近・現代1)
(御真影下賜と教育勅語)
御真影下賜と教育勅語 明治二十三年四月、
弘前高等小学校
に御真影(ごしんえい)が下賜された。,御真影は青森県庁において佐和正知事の手から相馬保之進
弘前高等小学校
長に手渡された。
通史編4(近・現代1)
(実業補習学校)
大正六年、第一尋常高等小学校から改組・独立して蔵主町にあった
弘前高等小学校
に商業科が加設され、これが弘前商業補習学校,写真189
弘前高等小学校
に併設された商業補習学校(大正11年) 弘前商業補習学校(大正十四年
通史編4(近・現代1)
(弘前総町聯合会)
弘前総町聯合会 明治二十年度弘前総町聯合会は、一月二十一日から二月三日にかけて
弘前高等小学校
で開かれ
通史編5(近・現代2)
(弘前青年学校の発足)
公立弘前青年学校校舎は、本町一丁目の弘前国民学校(元
弘前高等小学校
、現弘前税務署敷地)の一棟が充てられ
通史編5(近・現代2)
(朝陽・時敏校の貸与)
朝陽国民学校に収容、同校と二部授業を行うこととし、五、六学年は市公会堂に、高等科は蔵主町の弘前国民学校(旧
弘前高等小学校
通史編4(近・現代1)
(森文部大臣の遭難)
死を悼んで葬儀の日は休日とした(注、森文部大臣は二十一年十月十五日から本県に入り、弘前訪問は十九日、
弘前高等小学校
通史編4(近・現代1)
(旧藩主逝去と小学校)
また、市内小学校代表として、校長会は山中嵯峨之助
弘前高等小学校
長を選んで藩公葬儀参列に上京させた。
通史編4(近・現代1)
(明治二十年度予算審議)
明治二十年度弘前総町聯合町費支出予算案は、会議費五五円、土木費四四〇円、教育補助費七四七円九八銭--
弘前高等小学校
補助費,
弘前高等小学校
の生徒は四五〇人の定員だったが、明治二十年一月現在充足率八三%の三七二人、うち女子生徒は,この借用期限が満期になったので、相当代金を支払って払い下げを受け、
弘前高等小学校
学田とする計画が立てられた
通史編4(近・現代1)
(小学校の改革)
、中津軽郡町村連合会では建設中の公立中学校校舎を転用してこれに当たることとし、二十年一月二十五日、「
弘前高等小学校
通史編5(近・現代2)
(家政女学校の創設)
校長の小山内もとは明治二十八年から弘前女学校や
弘前高等小学校
で教鞭をとっていたが、三十二年に再度上京して
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