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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編4(近・現代1) (弘城政社の内紛と解散)

弘城政社の内紛と解散 明治四十三年十二月二十日、弘城政社の小山勝次郎派は、石郷岡代議士不在を見越して,その文言に「統一なきの党は党として何らの価値なく」と弘城政社の存在意義すら疑問視する言句まであった。,石郷岡代議士一派は、明治四十四年一月、市政刷新を掲げて革新同志会を結成したため、弘城政社は分裂した。,革新同志会と市政刷新会は、引退して東京にいた菊池九郎を立てたため、弘城政社の小山内鉄弥は一四対一二で敗,れ、この敗北によって弘城政社は解散した。   / 弘城政社の内紛と解散
通史編4(近・現代1) (弘城政社の衰退)

弘城政社の衰退 明治三十七年四月二十一日、憲政本党代議士工藤行幹が急逝した。,選挙には、急遽県会議長の弘城政社幹事石郷岡文吉が立候補し、弘前出身の中立派の万朝報記者齋藤久三郎にわずか,かくて、二十年間県の政界を支配してきた弘城政社の牙城は揺らぎ、内部の石郷岡文吉と小山勝次郎の対立、そして / 弘城政社の衰退
通史編4(近・現代1) (助役問題)

助役問題 当時、弘前市会は、佐田正之丞市長代理の政友会派一一人、伊東重の市政刷新会系の自治派一〇人、弘城政社小山派
通史編4(近・現代1) (中弘政社の誕生)

同社はのちに弘城政社を名乗って本県の進歩党・憲政本党の中核となり、県政や郡政・市政を指揮した。  
通史編4(近・現代1) (市会乱闘事件)

この動きの中心になった井上らは、小山内鉄弥を担いで市長選挙に敗れた旧弘城政社小山勝次郎派であった。
通史編4(近・現代1) (市制の施行)

成功如此自治ノ精神茲ニ在リ抔充分発達セシメント欲スルナリト述フ  これに対し、同じ東洋回天社仲間で、ともに弘城政社
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