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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(自然・原始) (弥生文化の内容)

弥生文化の内容 先述したごとく、弥生文化には稲作農耕のほかに金属器も加わっている。,弥生文化の特色を示すものとして重要視されている金属器の受容を証明し得る遺物は未発見である。,へら)状ならびに赤漆塗太刀形木製品)などのように、細部にわたる彫刻は金属器ならではの感が強く、金属器は弥生文化,西日本から稲作農耕を伴って到来した弥生文化は、縄文文化の強い東北北部の地に入ると、さまざまな変革をもたらしたであろう,天は人々の労苦に苛酷(かこく)な仕打(しう)ちを与え、弥生文化到来のころは寒冷のため稲作も円滑に行うことは / 弥生文化の内容
通史編1(自然・原始) (弥生文化の伝来と稲作農耕の開始)

弥生文化の伝来と稲作農耕の開始 約一万年の長きにわたって続いた縄文時代も、今を去る約二三〇〇年前のころになり,、南から伝播して来た新しい弥生文化が徐々に浸透し、やがてその文化の有する稲作農耕の技術を学び、次第に縄文文化,から弥生文化へと移行した。  ,新しく始まった弥生文化は、さきの縄文文化にはみられなかった金属器と、保存食料として優れているコメを伝来 / 弥生文化の伝来と稲作農耕の開始
通史編1(古代・中世) (弥生文化と続縄文文化)

弥生文化と続縄文文化 稲作農耕を生産基盤とする本州の弥生文化に併行する時期に、北海道地方に展開した縄文文化以来,東北地方北部で稲作農耕が行われていたころ、北海道地方で続縄文文化を形成した人々は弥生文化の影響を享受( / 弥生文化と続縄文文化
資料編1(考古編) (1.時代区分と弥生土器の編年)

今日までの研究によると、先のⅠ期初頭には北九州において弥生文化が成立し、その最初の土器として板付(いたつけ,奈良県田原本町の唐古鍵(からこかぎ)遺跡出土土器を標式として命名)を生じ、さらに板付Ⅲ式土器の段階では、弥生文化,東北地方北部の弥生文化に関する研究は、伊東信雄を嚆矢(こうし)とし、氏によって縄文時代晩期終末の大洞A
通史編1(自然・原始) (亀ヶ岡文化の広がり)

)の段階で一挙に近畿地方まで広がり、その後順次縮少するようであるが、その縮少の原因は、新たに勃興した弥生文化
資料編1(考古編) (1.古墳時代の概観)

広域に展開する文化と見られたが、今日では、砂沢遺跡や垂柳遺跡など、稲作農耕を伴う本県は、東北南部同様に弥生文化,この続縄文文化は、稲作農耕を主とする弥生文化と対峙(たいじ)する文化として弥生時代、北海道においてその
通史編1(自然・原始) (第四節 注および引用・参考文献)

國史大系 日本書紀』後篇 吉川弘文館 一九九〇年(普及版一二刷) (7)A 須藤隆 「東日本における弥生文化
通史編1(自然・原始) (津軽への稲作の伝来)

東北北部に弥生文化が伝わり、その文化の基盤である稲作が行われていたとする考えは、昭和二十年代に東北大学
資料編1(考古編) (5.青森県における弥生時代の終局)

5.青森県における弥生時代の終局 東北地方北部の弥生文化も、中期後半の田舎館式期を境にして衰退したのであろうか
通史編1(古代・中世) (古墳文化及ばぬ北の世界)

青森県域は津軽地方を中心に、いち早く弥生文化を受け入れていたのではあるが、県下の稲作はそうした気候の寒冷化
資料編1(考古編) (〈注一覧…第2章〉)

知識』(東京美術考古学シリーズ5) 1984年3月 *146A 八幡一郎 『弥生式土器・弥生時代・弥生文化,弥生時代』(青森県の考古学 青森大学出版局) 1983年8月 *150A 須藤隆 「東日本における弥生文化,弥生式土器の編年について」(縄文文化検討会) 1988年3月 *150C 須藤隆 「東北地方における弥生文化
通史編1(自然・原始) (発掘調査の成果)

かつては、本県における弥生文化前期の存在を疑問視する考えも強かったが、昭和四十三年(一九六八)の三戸郡南郷村松石橋遺跡,翌年調査会を組織して二ヵ年にわたる調査を行い、計六五六枚にのぼる水田跡が発掘され、伊東信雄と工藤正の弥生文化
通史編1(自然・原始) (太平洋戦争終結後)

昭和三十一年(一九五六)は、本県における弥生文化存在の扉が開かれ始めた年であった。
通史編1(自然・原始) (第一節 注および引用・参考文献)

関野・桜井 「青森県北津軽郡市浦村相内福島城址」『館址』 一九五八年八月 (93)工藤正 「青森県の弥生文化
資料編1(考古編) (〈注及び参考文献一覧…第3章〉)

(Ⅱ)』(青森県埋蔵文化財調査報告書第22集) 1975年 *120 福島県立博物館 『東北からの弥生文化
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