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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(生地による統制と着用規定)
生地による統制と着用規定 寛文元年(一六六一)六月二十一日に出された一一ヵ条の第五条によれば、
役高
一,衣服・帯地・裏地・風呂敷などに用いる)などの着用は
役高
一〇〇〇石および側用人(そばようにん)(奥向の内政,する役職)に、絹・紬などは三〇〇石以上の者に認めると記され、また三〇〇石以下の妻子は木綿着用とみえ、
役高
,寛延三年(一七五〇)には、
役高
三〇〇石以上の藩士および妻子に木綿の着用を奨励している(「国日記」寛延三年八月四日条,
役高
三〇〇石以上、長袴以上の者は木綿の衣服を着用し、羽織袴などは上等な品を用いず、桟留(さんとめ)(桟留鎬
通史編2(近世1)
(津軽家宛ての領知宛行状と領知高の変動)
近世大名の領知高は、各大名に賦課された大名課役、特に普請
役高
を根幹として、統一政権との間で政治的に決定,図52.寛文4年の領知目録 そして、慶長十六年の禁裏造営の際、津軽氏の普請役賦課の
役高
は約四万石,東北地方の大名にあってはこの際の
役高
がほぼ当時の本高に匹敵したものであることが確認されるから、この時点,での津軽家の
役高
は本高としてほぼ見なしえよう。 ,この
役高
を踏まえたうえで、津軽家の領知高が確定したのはこの時点から元和五年(一六一九)七月に至るまでの
通史編3(近世2)
(日常勤務の服装)
になると、大寄合格以上は肩衣(継肩衣=継裃)の着用であったが、今後は御家門(ごかもん)(藩主の一族)および
役高
八
通史編3(近世2)
(門の構造と屋根の材料)
この御目付触は、屋根を修理するため、
役高
一〇〇石につき柾五〇〇〇枚ほど借りることを藩が承認したものである
通史編2(近世1)
(諸役と運上)
役高
は、造酒役は七両二歩、室屋役は三〇匁、桶屋・染屋は五匁、豆腐屋は城下が一五匁で両浜が七匁五歩、質屋
通史編2(近世1)
(南溜池の掘削と藩兵の訓練)
さらに南溜池の掘削は安政五年(一八五八)になると、「非常御用柄之儀ニ付御国
役高
割ニ被仰付候」(「記類」
通史編2(近世1)
(綱吉政権下における大名課役)
津軽家に課せられた
役高
は三万石であり、領知高より一万六〇〇〇石分減高されている(以下、この工事については
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