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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (征夷大将軍大伴弟麻呂)

征夷大将軍大伴弟麻呂 翌延暦九年(七九〇)、政府はただちに第二回目の胆沢征討の準備に入った(史料二一一以下,これまで征東大使は征東大将軍と呼ばれることがあったので、この征夷大使弟麻呂は征夷大将軍と呼ばれることになった,これがのちに武士が幕府を開く際に必要な資格とされる征夷大将軍の史料上の初見である。 / 征夷大将軍大伴弟麻呂
通史編1(古代・中世) (征夷大将軍 坂上田村麻呂)

征夷大将軍 坂上田村麻呂 延暦十五年(七九六)、坂上田村麻呂は陸奥出羽按察使・陸奥守に任ぜられ(史料二三八,田村麻呂は翌年には征夷大将軍になっているから(史料二四二)、東北経営に関わる主要な四官を独占したことになる / 征夷大将軍 坂上田村麻呂
通史編1(古代・中世) (分裂した蝦夷沙汰)

分裂した蝦夷沙汰 もっとも、北朝で征夷大将軍に任命され、幕府を開いた尊氏には、もはや鎮守府将軍に任命,古代においては坂上田村麻呂が陸奥出羽按察使・陸奥守・鎮守府将軍・征夷大将軍の四官を兼ねた例があるが、これは
通史編1(古代・中世) (阿弖流為の投降)

翌二十三年には田村麻呂がまたも征夷大将軍に任ぜられる(史料二六七)。,歴代閣僚名簿にあたる『公卿補任(くぎょうぶにん)』という書物では、弘仁元年(八一〇)まで、田村麻呂を征夷大将軍
通史編1(古代・中世) (足利尊氏の離反)

 尊氏は、鎌倉幕府滅亡後、隠岐(おき)から脱出したばかりの後醍醐天皇から鎮守府将軍に任ぜられており(征夷大将軍
資料編1(古代・中世編) ([八世紀])

●延暦十三年(七九四)正月一日、征夷大将軍大伴弟麻呂に節刀。,●延暦十四年(七九五)正月二十九日、征夷大将軍大伴弟麻呂、帰京し節刀を進める。,●延暦十四年(七九五)二月七日、征夷大将軍以下に授爵。,●延暦十六年(七九七)十一月五日、坂上田村麻呂、征夷大将軍。
資料編1(古代・中世編) ([九世紀])

[九世紀] ●延暦二十年(八〇一)二月二十四日、征夷大将軍坂上田村麻呂に節刀。,●延暦二十三年(八〇四)正月二十八日、坂上田村麻呂、征夷大将軍。副将軍・軍監らを任官。
通史編2(近世1) (初代為信の動向)

その理由は、大坂の豊臣氏との緊張関係、朝廷対策つまり征夷大将軍宣下、西国の有力外様大名対策、そして江戸城
通史編1(古代・中世) (一 古代における北奥の宗教世界)

田村麻呂が延暦十年(七九一)、征夷大将軍大伴弟麻呂(おおとものおとまろ)の下に征東副使として蝦夷征討に,向かい(史料二一七)、同十六年に自ら征夷大将軍に補任されたこと(史料二四二)、さらには大同二年(八〇七
資料編1(古代・中世編) (第一章 綱文・史料一覧)

……………………………… 日本紀略 51 ●延暦十三年(七九四)正月一日、征夷大将軍大伴弟麻呂に節刀。,……………………………… 日本紀略 52 ●延暦十四年(七九五)正月二十九日、征夷大将軍大伴弟麻呂、帰京,……………………………… 日本紀略 52 ●延暦十四年(七九五)二月七日、征夷大将軍以下に授爵。,……………………………… 日本後紀 54 ●延暦十六年(七九七)十一月五日、坂上田村麻呂、征夷大将軍。,……………………………… 類聚国史 55 ●延暦二十年(八〇一)二月二十四日、征夷大将軍坂上田村麻呂に
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