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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編1(古代・中世) (後三条天皇の登場)

後三条天皇の登場 前九年合戦が終了してから六年後の治暦四年(一〇六八)、藤原道長の外孫であり、道長の,子頼通を関白に迎え在位二四年に及んだ後冷泉天皇が死去して、新たに摂関家を外戚としない後三条天皇(後冷泉天皇,写真70『国史略』治暦4年7月条 目録を見る 精細画像で見る  後三条天皇の政治改革は、第一に,にはこの内裏復興の財源確保を目的とした造内裏役という税の全国賦課のために発布されたものであって、こうした後三条天皇 / 後三条天皇の登場
通史編1(古代・中世) (「東夷征討」祈願)

その直後、後三条天皇は国家鎮護の軍神である石清水八幡宮に行幸し大般若経を供養して「征討東夷」の祈願を行,しかし実際の当時の動きを見ると、北奥の地ではこのときこそ、後三条天皇の「綸旨」(宣旨)を受けて、陸奥守源頼俊,二年前の治暦三年(一〇六七)に陸奥守に任じられ、一族・郎等を率いて奥州に赴任していたために、このとき後三条天皇,自らを抜擢してくれた後三条天皇の期待に応えるべく、意欲満々、勇躍して出陣したに違いない。  
通史編1(古代・中世) (延久蝦夷合戦の実相)

そして、年が明けた延久二年の六~七月ころ、「大将軍」頼俊が後三条天皇の宣旨を掲げて出陣したものと思われる,そして後三条天皇の政府が意図した本州北部の「蝦夷の地」平定という目標も、完全には達成できなかったらしい,つまり延久蝦夷合戦の背後には、後三条天皇の「日本国統一」の意気込みとは別に、当時急速に勢力を増しつつあった
通史編1(古代・中世) (エゾ=アイヌ)

のちに詳しく触れるが、後三条天皇の東夷征討による、本州北端に至るまでの平定によって郡郷制の施行が押し進
通史編1(古代・中世) (乳井福王寺の伝承)

本州北部の「蝦夷の地」併合という後三条天皇の意図はそう簡単に実現しなかったとはいえ、この合戦が北の地域
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