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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (消極的な藩の救済策)

天保七年の凶作では、御救米を一人当たり籾で三合を支給したが、「窮民への対応は藩では行われず、組ごとに代官,「お上(かみ)の御救をあてにするのはもっての外。
通史編2(近世1) (窮民対策)

十月十日、弘前・青森・鰺ヶ沢・十三に小屋を設置して窮民を収容し、在では一組ごとに目付を置いて御救を実施,非人小屋では、一人一日につき一合四勺から二合の御救米が支給されたというが、飢饉中にはわずか一四四石余りが
通史編2(近世1) (飢饉への対応)

の米のうちから小売米として一万五〇〇俵と大豆八〇〇俵を放出すること、江戸・上方廻米の中止、十月までの御救山,また御救山の設定も、八月中に行われている。,「御救山」とは藩の管理している山(留山)を開放して、山下の百姓に自由に立ち入らせ、伐採した薪等を販売することによって
通史編2(近世1) (寛延の飢饉)

藩は飢人(きにん)小屋を設置し、三十歳以上の者に御救米を支給するなどの処置を取ったが、翌春になっても弘前
通史編3(近世2) (非人小屋の設置と餓死者の処理)

餓死者の処理 領内では九月に入ってしだいに餓死者が多くなり、藩では飢えた者一人一日につき三合ずつの御救米
通史編2(近世1) (上層農民・在方商人の伸長と藩政の動向)

一七五〇)四月には、近年の凶作に加え、前年の不作によって御蔵納米が大いに不足し、皆無作の村々への種籾や御救米
通史編2(近世1) (津軽人のみた開港場箱館)

し、風説最(もっとも)可なり」と、高く評価し、具体的には、政務が穏当で、課役を省き、米価を引き下げ、御救米
通史編2(近世1) (幕府の蝦夷地政策)

(一七九一)から翌年に行われた蝦夷地調査と、それに伴うアツケシ場所や、ソウヤ・イシカリ場所などでの「御救交易
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