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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編3(近世2) (塵芥捨場の設置)

奥瀬登家の向かい、春日町の外れの長谷河左太郎上明き屋敷、大浦町(おおうらまち)の杉山専太郎家の隣にある御用地,大川添、鷹匠町(たかじょうまち)の川添、荒町(あらまち)の後の古川添、五十石町東側の御馬寄場、大浦町御用地大湯彦五郎家
通史編2(近世1) (家中屋敷の郭外移転)

天和三年(一六八三)三月、城内四の郭(北の郭)、北門(亀甲門)付近の棟方作左衛門邸など七つの屋敷が御用地,その後も御用地として屋敷が召し上げられた家臣が郭外に移転する例があったが、本格的な移転は元禄八年(一六九五,二の丸に住居する家中は既におらず、空き屋敷が一つ、御用地の付箋のある屋敷地が一つ、そして蔵屋敷・馬屋・
通史編3(近世2) (金木屋による養蚕と製織)

当時勘定小頭格)が在府町(ざいふちょう)行き止まりの南溜池(みなみためいけ)(現市内南塘(なんとう)町)堤沿いの御用地借用
通史編3(近世2) (宝暦期の城下)

次の動きは、天和三年(一六八三)ころから始まる城内の御用地化である。
通史編2(近世1) (東蝦夷地直轄下の勤番体制)

)以北シレトコ(現北海道知床岬(しれとこみさき))まで、および国後島・択捉島などの島々を七ヵ年の間、御用地
通史編2(近世1) (幕府の蝦夷地政策)

こうして寛政十一年一月、幕府は東蝦夷地を七年間の「当分御用地」として松前藩からの「仮上知(かりあげち)
資料編3(近世編2) (【解説】)

その寛政十一年(一七九九)、幕府は東蝦夷地を七年間の御用地として直轄統治に踏み切り、以後、享和二年(一八
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