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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(五 御用留)
五
御用留
「藩庁日記」とは別に、慶応元年(一八六五)から明治四年(一八七一)までの各種の
御用留
で、 / 五
御用留
通史編3(近世2)
(町方の軍事負担)
町方の軍事負担 市域の新町(あらまち)名主であった今泉万右衛門は「
御用留
」(弘図岩)という史料を残している,まず、「
御用留
」に報恩隊という町兵の名称が初めてみえるのが、明治元年八月に藩に届け出た隊中名簿であり(,ただ、町兵といってもこの人数のみでは隊構成を成さないし、「御軍政
御用留
」にも軍政局から教官が派遣され、,現に万右衛門の「
御用留
」には隊中の者が無断で訓練に出ず不埒(ふらち)であるとの内容が多く、とても実戦部隊,図56.今泉万右衛門の「
御用留
」 目録を見る 精細画像で見る その他、「
御用留
」から当時の町民
通史編2(近世1)
(三 弘前藩庁日記)
両者とも
御用留
などを整理し、清書したものである。
通史編3(近世2)
(染め賃値上げのこと)
りか)を行って値段をつり上げ、原料高と称して染め賃の値上げ(三割増)をたくらんでいる例も認められる(「
御用留
通史編3(近世2)
(農兵の組織)
より盛壮(せいそう)の男子が選ばれ、おおよそ一小隊三八人から三四人程度にまとめられていたことが「御軍政
御用留
,夫 6 農民より徴発 12 浮 夫 8 農民より徴発 小計 27 総計 69 注) 「御軍政
御用留
,6 弾薬箱 34 大20,小14 7 尖弾薬大箱 1 8 控えゲベール銃 8 注) 「御軍政
御用留
,じられないし、一統で飢えや寒さ、労苦をともにするものだと諭しながら動員していったのである(前掲「御軍政
御用留
通史編3(近世2)
(瀬戸師林兵衛による製陶)
悪戸村(現市内悪戸)の「
御用留
帳」(個人蔵)の天保十五年三月十八日条(図145)では、瀬戸座の林兵衛が,図145.悪戸村の「
御用留
帳」 安政六年(一八五九)の「山方
御用留
」(弘図津)によると、悪戸村瀬戸師鉄三郎
通史編3(近世2)
(社家・修験隊の組織)
「御軍政
御用留
」十二月五日条によると、組織された社家・修験隊はそれぞれ二小隊ずつで、社家隊は小隊長の他,両隊の訓練には軍政局より銃隊頭修験隊取扱として船水新五兵衛・松田良三郎の二人が任命され(前掲「御軍政
御用留
通史編3(近世2)
(大沢における製陶)
大沢における製陶 「
御用留
書」(弘図津)の慶応元年(一八六五)八月三十日条によると、下川原瀬戸師金蔵
通史編3(近世2)
(二等銃隊の創出)
(40俵3人扶持) 弟 37 高藤六弥太 〃 〃 御手廻番頭富太郎(禄高不明) 〃 注) 「御軍政
御用留
,明治元年五月段階では、まだ彼らに対する訓練が行き届いておらず、「附属隊中手続者勿論打方一向不心得」(前掲「御軍政
御用留
,弘前藩の軍制改革と軍事に関する記録をまとめた史料が「御軍政
御用留
」(弘図津)であるが、これを丹念にみていくと
通史編3(近世2)
(藍)
「(今泉)
御用留
」(弘図岩)嘉永二年(一八四九)七月十二日条によると、文政年間(一八一八~一八二九)国藍
通史編3(近世2)
(農兵の動員実態と要求)
長柄之者(ながえのもの)格とさせて、最末端ではあるが藩制に位置づけて士気の高揚を図った(前掲「御軍政
御用留
通史編3(近世2)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
会津若松市教育委員会蔵 48 秋田市立佐竹史料館蔵 49 白石市総務部振興課蔵 50 作成 51 御軍政
御用留
,学校法人 東奥義塾蔵 53 弘前市立博物館蔵 54 斉藤俊朔氏蔵 仙台市博物館写真提供 55 作成 56
御用留
,弘前市立図書館蔵一般郷土資料 144 弘前市管内図(1/10000 平成7年調製)弘前市蔵 145
御用留
帳
通史編3(近世2)
(御軍政局の発足と組織)
後、閏(うるう)四月二十六日には表11のように局中の役職が一応確定し、その職掌も明示された(「御軍政
御用留
,図51.御軍政
御用留
目録を見る 精細画像で見る 図52.修武堂扁額 表11.明治元年閏,野沢得弥 〃 無役 2人扶持勤料 砲術調方 明治2.12 御留守居組御目見以上支配 注) 「御軍政
御用留
資料編3(近世編2)
(【解説】)
また、「江戸御屋敷勤方
御用留
」からは、江戸屋敷での勤務の状況をうかがうことができる。,一方、幕末に書かれた町名主の「
御用留
」から、新町(あらまち)名主中畑忠三郎が記したものを一点取り上げたが,「
御用留
」は江戸上りを命じられて、江戸藩邸で勤務していた際に書き留めた公務日誌である。
通史編4(近・現代1)
(伝統習俗の刷新)
『片谷惣三郎
御用留
』によれば、その内容は次のとおりである。
通史編3(近世2)
(討庄応援兵の派遣)
の沢副総督に会い、その様子を四月二十五日付の書状の中で、国元へ討庄応援の請書を提出したと報告した(「
御用留
書
通史編3(近世2)
((三)陶磁器)
のちの下川原焼の瀬戸師金蔵による―慶応元年〈一八六五〉
御用留
書〈弘図津〉)と明治四年(一八七一)の富田御屋敷跡
通史編2(近世1)
(弘前藩庁日記の開始)
においてまとめられていた記録と考えられる「御伝帳」・「御家老帳」・「御家老剪紙(きりがみ)控」・「御用人剪紙控」・「
御用留
書
通史編3(近世2)
(二等銃隊の補充と特質)
、日常生活の万事に不都合で家内難儀(なんぎ)だとの苦情が頻繁(ひんぱん)に出されており(前掲「御軍政
御用留
通史編3(近世2)
(戦局の展開と兵員の不足化)
もなくなるから、老年多病の下等の者には当番や臨時の諸用事を申し付けてほしいと具申している(前掲「御軍政
御用留
資料編2(近世編1)
(【解説】)
の場合、これらに関することが混在しており、町年寄の職務遂行上必要なことを私的に書き留めた広い意味での
御用留
通史編2(近世1)
(土着策と蝦夷地警備)
八〇石以下の知行取、切米、金給については、すべて藩が貸し付けるとしている(「松前箱館御固
御用留
帳」弘図古
通史編3(近世2)
(軍制への戸惑いと浸透)
は閏四月七日、「今度出張山本三郎左衛門殿附属兵士之面々より三ケ条嘆願之儀御聞届ニ相成」(前掲「御軍政
御用留
通史編2(近世1)
(その他の諸政策)
藩は松前において、藩士に対して儒書・兵書の講釈を極めて厳重に行っている(寛政九年「松前箱館御固
御用留
帳
通史編3(近世2)
(江戸勤番と生活)
藩士の江戸勤番と非番の時の生活が具体的に知られるのであるが、次に天明五年(一七八五)の「江戸御屋敷勤方
御用留
資料編3(近世編2)
(【解説】)
また、軍制関連の史料として引用したものに、弘前市立図書館津軽家文書の「御軍政
御用留
」がある。
資料編2(近世編1)
(【解説】)
掲載した弘前大学附属図書館蔵の「弘前八幡宮社務日記」(この史料名は総称であり、各冊は例えば「宝暦六年
御用留
書
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