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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編2(近世1)
(穀物の流通統制)
流通統制 この年、藩は五穀の買い上げを十月一日から開始、自由な売買を堅く禁止し、違反する者は双方欠
所
という,藩は領内各地に「
御買
〆(かいしめ)
所
」を設け、「
御買
上役人」を二~三人ずつ配置し、穀物の集荷・販売を担当,油川・藤崎・板柳・木造・深浦は二ヵ
所
、青森は三ヵ
所
置かれた。(「国日記」天保八年十二月十七日条)。,
御買
〆
所
から払い下げを受け、町方・村方に販売するのが、弘前と在方各町村に置かれた「米穀商売之者」であり,このような状況下で、十二月末、藩はついに
御買
〆
所
による米の集荷をあきらめ、「相対」での販売を復活させるに
通史編3(近世2)
(紺屋町末紙漉所)
紺屋町末紙漉
所
貞享元年(一六八四)六月、藩では製紙業の振興を図るため、城の東方の黒石町・長町・寺町,図132.紺屋町織座(紙漉
所
跡) 元禄元年(一六八八)、紙漉
所
で不要になった生皮大判二五〇帖・,元禄四年(一六九一)、紺屋町末紙漉
所
は閉鎖され、紙漉頭新井・今泉は、同七年に職を解かれた。,紙漉
所
跡は薬園になり、さらに藩営の織座町に変わって大川村の楮畑は桑畑になる。,下し置かれ、手代六人…一ヶ年御扶持切米ばかりも大概一七〇両余の御物入り、楮も不足と申し出、上方より楮
御買
下 / 紺屋町末紙漉
所
通史編3(近世2)
(町役負担と御用金)
百人小遣は支配頭二人のもとに小頭五人、小遣一〇〇人が
所
属し、給料は小頭が切米一二〇匁三人扶持、小遣は一,一一五三)によれば、当時の町扶持人は高一〇〇石の町年寄松井四郎兵衛・松山善次の二人のほか、俵子五〇俵の町
御買
物役人,表7.弘前城下の町扶持人 町扶持人 扶 持 人数 町年寄 100石 2人 町
御買
物役人 50俵 2人,このうち、名主・月行事・町年寄小遣・御用屋敷・新田会
所
・能役者屋敷・人馬請払
所
・鍛冶役
所
・具足役
所
などが
通史編2(近世1)
(「標符(通帳)」発行の前提と経過)
さらに同二十二日には運送役の任務を「米穀諸渡方」「金銀銭諸渡方」「諸色
御買
物代切手払」「御家中御給禄渡方,応じて藩から分限相応の生活物資を下し置くというものであり、弘前はもちろんのこと、町・在に至るまで領民
所
持,なお、五
所
川原市飯塚家文書に「宝暦六子年六月 諸産業改仕方書」(『五
所
川原市史』史料編2上巻)と題する,「定」の主な内容は、①貸借関係を帳消しとすること、②各自
所
有の金銀や物の数量を書き出すこと、③商売は、
通史編3(近世2)
(諸家業と職人)
文久三年(一八六三)の「桶屋町人別帳」にみえる日雇一家五人は、前年の九月に同鉄山で働いていたが、このたび同
所
を,一方、御役家業は三〇職種に分類され、数は寛政期と変わらないが、山漆実買請(かいうけ)
所
・𨫤,山漆実買請
所
は寛政期には無役家業であったが、漆木の増産計画によって扱いが変わったためであろう。,御用 御用蝋燭懸 1 御用蝋絞 1 御国産鉄取扱 1 彫刻師 2 御前穀物請負・同搗屋 1
御買
上品取扱,51 内 御用1軒 鍛冶屋 95 内 御用4軒 蝋燭屋 40 内 御用1軒 休1軒 山漆実買請
所
資料編3(近世編2)
(【解説】)
史料の中には日付が分からないものもあるが、前後の関連から最適と思われる箇
所
に配置した。 ,さらに本章では軍事・政治・経済といった
所
謂政治レベルの問題のみならず、幕末維新期の民衆に係わる史料をも,前者は現在でも『大日本維新史料』として東京大学史料編纂
所
から刊行が続いており、その広瀚さは他史料の追随,弘前藩の歴史をみる時に必須なのが「藩庁日記」であるが、戊辰戦争の激化とともに御日記役も
所
々に駆り出され,さらに前述した「帰田法」では弘前市立図書館の津軽家文書「諸稟底簿」と「田畑
御買
入一件留」を中核として史料
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