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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編3(近世2)
(農兵の組織)
各村より盛壮(せいそう)の男子が選ばれ、おおよそ一小隊三八人から三四人程度にまとめられていたことが「
御軍政御用留
,炊 夫 6 農民より徴発 12 浮 夫 8 農民より徴発 小計 27 総計 69 注) 「
御軍政御用留
,780 6 弾薬箱 34 大20,小14 7 尖弾薬大箱 1 8 控えゲベール銃 8 注) 「
御軍政御用留
,は論じられないし、一統で飢えや寒さ、労苦をともにするものだと諭しながら動員していったのである(前掲「
御軍政御用留
通史編3(近世2)
(社家・修験隊の組織)
「
御軍政御用留
」十二月五日条によると、組織された社家・修験隊はそれぞれ二小隊ずつで、社家隊は小隊長の他,両隊の訓練には軍政局より銃隊頭修験隊取扱として船水新五兵衛・松田良三郎の二人が任命され(前掲「
御軍政御用留
通史編3(近世2)
(二等銃隊の創出)
早道之者竜之助(40俵3人扶持) 弟 37 高藤六弥太 〃 〃 御手廻番頭富太郎(禄高不明) 〃 注) 「
御軍政御用留
,明治元年五月段階では、まだ彼らに対する訓練が行き届いておらず、「附属隊中手続者勿論打方一向不心得」(前掲「
御軍政御用留
,弘前藩の軍制改革と軍事に関する記録をまとめた史料が「
御軍政御用留
」(弘図津)であるが、これを丹念にみていくと
通史編3(近世2)
(農兵の動員実態と要求)
隊中は長柄之者(ながえのもの)格とさせて、最末端ではあるが藩制に位置づけて士気の高揚を図った(前掲「
御軍政御用留
通史編3(近世2)
(御軍政局の発足と組織)
えられた後、閏(うるう)四月二十六日には表11のように局中の役職が一応確定し、その職掌も明示された(「
御軍政御用留
,図51.
御軍政御用留
目録を見る 精細画像で見る 図52.修武堂扁額 表11.明治元年閏,43 野沢得弥 〃 無役 2人扶持勤料 砲術調方 明治2.12 御留守居組御目見以上支配 注) 「
御軍政御用留
通史編3(近世2)
(二等銃隊の補充と特質)
出され、日常生活の万事に不都合で家内難儀(なんぎ)だとの苦情が頻繁(ひんぱん)に出されており(前掲「
御軍政御用留
通史編3(近世2)
(町方の軍事負担)
ただ、町兵といってもこの人数のみでは隊構成を成さないし、「
御軍政御用留
」にも軍政局から教官が派遣され、
通史編3(近世2)
(戦局の展開と兵員の不足化)
意味もなくなるから、老年多病の下等の者には当番や臨時の諸用事を申し付けてほしいと具申している(前掲「
御軍政御用留
通史編3(近世2)
(軍制への戸惑いと浸透)
ついに藩は閏四月七日、「今度出張山本三郎左衛門殿附属兵士之面々より三ケ条嘆願之儀御聞届ニ相成」(前掲「
御軍政御用留
通史編3(近世2)
(掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)
会津若松市教育委員会蔵 48 秋田市立佐竹史料館蔵 49 白石市総務部振興課蔵 50 作成 51
御軍政御用留
資料編3(近世編2)
(【解説】)
また、軍制関連の史料として引用したものに、弘前市立図書館津軽家文書の「
御軍政御用留
」がある。
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