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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍

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通史編2(近世1) (関ヶ原の戦いと津軽氏)

現在確実な文書によって、この動乱の時期の津軽家の動向が確認できるのは、慶長五年八月十九日付の徳川秀忠が,図44.関ヶ原参陣を促す徳川秀忠御内書 津軽右京亮宛  また、「関ヶ原合戦図屏風」(大阪歴史博物館蔵
通史編2(近世1) (「津軽一統志」の編纂まで)

さらに、貞享元年(一六八四)六月、京都の町人糸屋助右衛門から、慶長五年(一六〇〇)八月十九日付の為信宛徳川秀忠書状
通史編2(近世1) (江戸時代初期の大名課役)

参集した後、伊達政宗・上杉景勝らは独自編成、相馬利胤(そうまとしたね)・南部利直・秋田実季などが将軍徳川秀忠軍
通史編2(近世1) (津軽家宛ての領知宛行状と領知高の変動)

徳川政権下に入っても、徳川家康は大名に対して集中的な領知判物の発給を行わず、元和三年(一六一七)、徳川秀忠
通史編2(近世1) (掲載図版・写真の典拠・所蔵一覧)

東北大学附属図書館蔵秋田家文書 能代市史編さん室写真提供 43 『山形県史』第2巻 43頁 昭和60年 山形県刊 44 徳川秀忠御内書
資料編2(近世編1) (編年史料 (天正十七年~明暦二年))

●慶長五年(一六〇〇)八月十九日、徳川秀忠、津軽為信へ書状を下し、関ケ原への出陣を催促する。,●慶長十七年(一六一二)正月五日、将軍徳川秀忠、津軽信枚ほかの東北諸大名へ条書を下し、幕府への忠誠と法度遵守,●慶長十九年(一六一四)十月十六日、将軍徳川秀忠、津軽信枚を含む奥羽大名を江戸へ参集させ、速かに江戸を,●慶長十九年(一六一四)十月十六日、将軍徳川秀忠、津軽信枚を含む奥羽大名へ軍法を発令する。
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