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弘前市立弘前図書館/おくゆかしき津軽の古典籍
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通史編5(近・現代2)
(忠霊塔建設)
忠霊塔
建設 西茂森二丁目長勝寺横の禅林広場(平成十五年四月開園)の隣に建っている仏舎利塔は、昭和十六年,に戦死者の霊を弔うための「
忠霊塔
」として建立に着手されたもので、同年五月一日地鎮祭が行われた。,
忠霊塔
の建設は弘前銃後奉公会(会長は弘前市長が充てられた)が中心となり、市内各学校生徒児童の勤労奉仕と,
忠霊塔
建設作業は十七年、十八年と続けられたが、十九年に至り戦争激化とともに資材不足もあって工事は一時中止,写真59
忠霊塔
建設奉仕(富田大通町会・昭和17年8月) /
忠霊塔
建設
通史編5(近・現代2)
(忠霊塔の建設)
忠霊塔
の建設 西茂森の丘上に聳(そび)える
忠霊塔
の建設について、葛原市長が亡くなってのち、その死を追悼,これによると、
忠霊塔
の「本尊」は、大鰐町の伝説的な名木「萩桂」を体材として、弘前出身の彫刻家三国慶一が,当時の弘前師団の軍用土地建物係のHは、
忠霊塔
が一面陸軍墓地の性質を帯びているので建設に関係していた。,しかし、
忠霊塔
は、建設費の募金も不足で彫刻の費用は全くなかった。,なお、
忠霊塔
は、昭和二十三年五月、「仏舎利塔」と改称された。 /
忠霊塔
の建設
通史編5(近・現代2)
(満州事変から太平洋戦争へ)
勤労作業は、冬の除雪、除草、整地、長勝寺境内の
忠霊塔
の建設などがある。
通史編5(近・現代2)
([付図])
19 終戦〈昭和20年〉 20 弘前市への進駐軍(代官町)〈昭和20年〉 21 「
忠霊塔
通史編5(近・現代2)
(弘前実科高等女学校の変遷)
忠霊塔
建設のための石を採集したり、養蚕、南塘農園の農作業などに精を出している。
通史編5(近・現代2)
(東奥義塾の昭和)
勤労奉仕のために授業どころではなく、馬屋町の畑作業、小比内農場の作業をはじめ、
忠霊塔
の整地や砂利運びなどに
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